• 2004年1月31日11時1分

    1月31日(土)

    「うれしいOBの応援」

     昨日は第5週で教師会の日、レッスンは休みです、間近にブーケショーを控え、先生方は大忙しです。会員の古内さん、山下さん、前田さん達がお手伝いに来てくれて大助かりです。OBのほうきばら先生が差し入れをもって半日お手伝い、勝手知ったる、元スタッフの応援は、地獄で仏??助かりマース。

     夕方突然OBでデザイナー科の長船さんが、ブラジルから一時帰国で訪ねてくれました。皆びっくり、1年半ぶりです。長船さんと言えばブーケショーではいつもオリジナル作品を自分で考案し、力作を出してくれる大ベテラン、この時期の訪問には、私たちもおおいに励まされます。ブラジルのフラワー雑誌のおみやげで、ひとしきりわいわい賑わいました。

    今ブラジルでカリグラフィーの先生をしていて、9人もの生徒サンがいらっしゃるそうで活躍中でうれしいです。

    8日はウオーキングのリハーサルが海港記念会館で行われます。ドレスの試着も終わってたのしみです、「題名、作品説明」はお早めにね、今年はプロの司会者〔元局アナ)ですから、きっとかっこよく紹介してくれますよ。


  • 2004年1月25日17時52分

    友人からきたアフガニスタン支援のメールを転送します。********** 今度の冬もアフガニスタンに衣類を贈ろう **********        http://www.eeeweb.com/〜backup/**************************************************************JITアフガニスタン支援プログラム・サポートサイト【アフガニスタンからのレポート】のMATSUDAです。いつも、ご協力くださって、ほんとうにありがとうございます。復興の進むアフガニスタン。しかし、この冬もたいへん厳しい気候のなか、未だ屋外での生活を余儀なくされている人々が多いことが現実です。アフガニスタンでは、すでに衣類支援は必要とされていないといった情報が流れていますが、現地NGOを通じて、支援物資を送ってほしいとの要請があり、2月初旬に今冬最後の集荷を行うことが決まりました。現地の様子などは情報が届き次第、順次サイトにUPしていきます。ぜひ、日本からのあたたかい贈り物にご協力ください。なお、靴、文具は、日程は未定ですが、引き続き集荷する予定です。■以下署名欄まで全文転送でお願いします。■長すぎる!と思いますのでサイトに短いバージョンを用意してあります。=====■第14弾は衣料のみです!  #同梱が税関の関係でトラブルとなり、衣類のみの集荷となりました。■日程  2004年1月19日(月)〜1月30日(金)■集荷場所 〒140-0003 東京都品川区八潮2-8-1         宇徳運輸株式会社 大井支店         電話番号:03-3971-5631(伝票記載専用)※伝票に『アフガニスタン救援物資』と明記のこと※集荷場所は土日祝日及び期間外は受取拒否されますのでご注意下さい。※これまでの送付先、大井物流センター、大塚モスク、JR貨物には送らないでください。※掲示板などへの集荷場所の掲載は過去ログなどに残ってしまい、トラブルとなりますので、ご遠慮下さい。■アフガニスタンまでの運賃(船便+現地輸送費)を必ずお振り込み下さい。     ミカン箱(タテ+ヨコ+高さ=120cm未満を目安)よりも、     ちいさな箱(1箱)は、500円/おおきな箱(1箱)は、1,000円■振込先 :JITアフガン難民ファンド     郵便振替 00150−9−98307      東京三菱銀行大塚支店 普通口座 1415181 ※一部ネットバンクなどでは、ジェーアイティーアフガンナンミンファンドと記入してください。※経費の節約により余剰金が出来た場合は、医療品、食糧、毛布などを現地で購入するための資金とすることをご了承下さい。カンパも合わせてお願いしています※集荷場所までの送料は別途お支払い下さい。※お金は絶対に箱の中に入れないでください。現地で気がつかれずにゴミになってしまいます。文化、習慣の違いで、体の線が出る衣類は贈らないでいただきたいなど、細かなお願いがあります。お手数でも、必ずサイトをご確認の上、参加ください。梱包方法、贈ってほしいもの、贈らないでほしいものなどの情報や、プリントアウト用の情報をまとめたページ、問い合わせのための掲示板、呼びかけ文の短いバージョンなどを用意しています。この支援は、私たちの手からアフガニスタンの人々の手へ、直接渡る貴重な機会です。不要品の処理ではなく、あたたかい支援の気持ちを伝えられるような「贈り物」をお待ちしています。どうぞよろしくお願いいたします。         ■サポートサイト【アフガニスタンからのレポート】                  http://www.eeeweb.com/〜backup                                    山下 


  • 2003年12月24日23時7分

    12月24日(水)

    「捻挫の巻}

    パりから来日したフラワーコーデネイター斎藤由美さんが日本最後の夜スタジオに見えられました。パリの情熱のブーケショーからまる1年、5月のヤニックとの「デモ&レッスン」のハプニングより半年ぶりの再会です。

      レストランにお食事に誘い、1ヶ月の全国での彼女の{デモ&レッスン}の写真、パリのブーケショー^の思い出話など、すっかり上機嫌での帰り際、誤って床を踏み外し右足首を思い切り捻挫してしまいました。12月2日のことです。

    一歩も歩くことも出来なくなり、なんとか家に担ぎ込まれ、ついにギブスと松葉杖のおせわになることになってしまいました。

     あれから20日、ギブスもとれ、杖もはずして、なんとか車の運転も出来るようになったものの、毎日の湿布とマッサージは欠かさぬ日課となり、スタジオにあるコラーゲンを、がぶがぶと飲む毎日となりました。

     幸運なことにサンフランシスコで医者をしている息子が骨専門のカイロの医師であったため、電話やメールでいくつかのアドバイスを受けました。

    かれによると、ギブスは家に帰ったらはずして、足首で文字を書いたり、痛い方の足で片足立ちをしながら、他のことをする(歯を磨いたり、洗い物をする)バランス感覚の神経と、のびた靱帯のなかの神経が死なないように、復活させるリハビリー運動をすること、これによって、脳からの指令を受ける神経を復活させ、同じ怪我をなんども繰り返すことを防ぐことが出来ると言うことでした。

     とかく痛いと言えばすぐレントゲン、ギブスで固定し、痛み止めの薬を飲んで、松葉杖で足を使わないように固定する、という現代医学というものに警鐘を鳴らされ、私自身命拾い?ならず足拾いすると共に、また息子の医師としての見識の確かさに改めて敬意を表したという、私の捻挫事件の1幕でした。

    皆様にはご迷惑とご心配をおかけしましたこと、ここにお詫びと御礼を申し上げます。もう回復一途ですのでご安心くださいませ。ありがとうございました。


  • 2003年11月29日2時34分

    11月28日 (金)

    「クリスマス、お正月レッスンの真っ最中」

    「ブーケショーの相談とリハーサルも!!」

      今年もあと数日で12月ですね、スタジオでは毎日クリスマスのリースやアレンジのデザインまた、ブーケショー相談などたけなわです。

     今日の夜のレッスンは、全員モミの木とサンキライの実、ねずの実でクリスマスリースを作りました。円形や、ハート形、など見事なリースがたくさん出来上がり、教室は一気にクリスマスムードとなりになりました。

      造花のクリスマスアレンジは、もう締め切りになったデザインも出ていますので、予約を出来なかった方れは相談しながら季節のレッスンをいたしましょう。

      12月はお正月のレッスンも入るので、やりたいものがいっぱいですね。そこで普通コースの方は12月に限り1月の第1週のレッスンを先取り出来るよう便宜を計っていますので、12月は5回レッスンが出来ます。{1月の第1週はお休みです)

    またブーケショーに出られる方は、12月中に1回リハーサル、あるいは希望のデザインと花、色彩を決めましょう。重複しないよう全体の調整をしたいので、希望のある方は早めに、ブーケの制作ノートを提出してください。 ちなみに、今日「チューリップ・白、ニューサイラン」「茶系のバラ」などが決りました。

     ブーケショーの素敵な案内書も出来上がり、ショー出演者も8割以上決まり、残り数名となりました、各科の修了証書の申し込みも合わせて、ショー希望者は至急申し込み下さい。

     また12月は27日(土)までレッスンいたします。27日はお正月の生花アレンジをいたします。今年はどんなデザインになるか楽しみににしてくださいね。

     しばらくお休みしていた方もクリスマス・お正月レッスンに是非来て下さい、お待ちしています。


  • 2003年11月24日1時0分

    11月23日(日)

    「まなこスクールの国際展」

    11月3日(祭)、まなこ・やすこスクールの国際展が目黒の雅叙園で開かれました。まなこ先生の名入りの手書きの招待状をいただいたので、敬意を表してひとりでぶらりと出かけました。

     会場の玄関には、思いがけず、同時開催の仮屋崎省吾の巨大な生け花と、まなこスクールの和風生け花が双璧のように堂々と見事に活けられた有りました。

        それは赤い木の実の造花と、松、米俵など鉄製の羽子板に組み込まれたお正月風のデザインで、まさに二つの和風生け花の巨匠の世界でした。 ホテルの3階をすべて会場とした大小何百と展示されたデザインをひとつひとつ楽しく見せていただきました。

      外国のデザイナーの巨大な作品も展示れていました。ホテルの椅子をそのまま何個ももデザインの中に組み込んでいるのには驚かされました。また白のアマリリスとが、逆さに何本も下がっているデザインは、昨年のパリのブーケショーで訪れたトルチュの店で新鮮な感動を得たこと思い出しまた、アテネホテルでも真っ赤なアマリリスが何十本も壁一面に飾られていたこともパリの思い出と共によみがえってきました、

      今回パリの「アレックス&サイトウ・ユミ」のデモでも深紅のアマリリスを注文されましたので、このアマリリスという素材は、ヨーロッパでは、ここ一番というとき、人気の高いものと思われます。

     私は、この大胆で、強烈な印象のアマリリスは併せるものが難しく、茎も裂けやすいうえ、折れやすいので敬遠しがちでした。折れやすければ逆さに下げればよい、ということですね、又ひとつ新しい分野を見せてもらい、いつの日か使ってみたいと思ったりしました。

     この展示会では、生花、造花、プリザーブドフラワーがとなりあわせだったり、一つの作品の中に密かに交ぜ合っているのが特徴で、作品ごとに、どれが生花で、どれが造花?とついそればかり気になって、落ち着かなかったのですが最後には、素材の分野より、全体を見ることが出来るようになりました。

    まなこ先生自ら出演の花嫁衣装のパレードなど・・・・・・ 絢爛豪華、百花繚乱の素晴らしい、「まなこ先生の世界」でした。

    受付の女性が丁寧につけてくれたご招待客用の赤いバラのコサージは、家につくまで胸に飾って帰りました。

     「 ありがとうございました 」


  • 2003年11月15日2時15分

    11月14日{金)

    「クリスマスローズ」に代わるもの無し。

    今年もパリから斉藤由美さんがデモストレーター、アレックスさんと一緒に「デモ&レッスン」のため、11月10日から12月3日まで、日本に滞在します。

    この間長野、三重、北海道、東京など、日本各地で研修会が開かれます。

     過去3回にわたって、この研修を私達のスタジオでも主催し、大勢の会員の皆さんが、パリ直輸入の「レッスン&デモ」を研修しました、が今回は残念ながらパスすることにしました。

    この秋、桃子先生としんり先生が、プリザーブドフラワー・インストラクターズ・アカデミーを新設し、その準備に忙殺、また、クリスマス、お正月の特別レッスンを控えた上、2月22日の「修了式&ブーケショー」の準備と、12月にはショーのレッスンのリハーサルをはじめる予定になっていたため、とても両立させることは出来ないと考えたからです。

    とはいえ、この企画のための花材を斉藤さんが直前に来日するというスケジュールで調達出来ないため、私が代わって準備することを引き受けたのでした。

    メールで日本の花情報を連絡しながら、希望の花材を集めようとしますが、日仏の季節の違いが、フランスで今出回っている花は、日本ではまだ早すぎで無く、有っても全て輸入と言うことで、コストや、色の揃え方が難航し、太田市場とパリと連絡を取りながら何度もなんども交渉しましたがいつもながら、外国人のデモの花材集めの大変さを再認識しました。

    結局20種類近くのものは入荷しましたが、クリスマスローズだけ入荷しませんでした。追1〜2週間前まであったクリスマスローズは輸入品で、もう終了しこのあと国産品が出るまでは無いということでした。

    クリスマスローズが無いと解ったとき、その代わりになる花を考えました。クリスマスローズの代わりになる花って何でしょう? クリスマスローズに代わる花???・・・・・・・

     これが無いんですよねー、あの地味な渋い青紫、グリーンがかった白、下向きに密やかに、花とふっくらとしたつぼみが房になってに咲く花・・・・メインを侵さず、充分に控えめでありながら、気品ある存在感とどことなく孤独な雰囲気を醸し出すクリスマスローズ。

    考えても考えても、代わりの花なんて絶対に無いんですよね、

    わたしは自分たち人間のことを考えてしまいました、私たち一人ひとりは、みな充分異っていて、代われる者などは他に無い、ということ。自分は自分に成りきること、他を羨むことも、自分を卑下することもない、また、誇ることも無い。

    他と比べることは不可能であり、ただ自分を省みて、本当の自分の徹すること。最高の自分を完成すること。

     そんなことをこの度のクリスマスローズは、わたしに教えてくれたのでした。


  • 2003年11月3日21時17分

    11月3日(月)

    「最高のグランプリ受賞&上位受賞者独占!!驚異の天真書法塾」

      私達のスタジオで月曜日に月2回、書道の教室が開かれていることを知っているだろうか? この横浜教室は開講して未だ2年と数ヶ月です。

       塾長は私の主人です。主人は新体道の武道の創始者で武道家ですが、(毎年の修了式での講話ではすっかりおなじみになりましたね)60才を過ぎてから、中国書法を修得し、新体道と並行しながら、独特の指導方法を開発し徹底的な基本技法の修得と精神世界の追求による自己開発をめざして、精神と技の一体化による総合としての書道を開発しました。

       合宿などもおこない、中国本土にも勉強に出かけ直接史跡を巡り、中国書家からも学ぶという、徹底ぶりでまさに師と弟子が一丸となって武道を行うような集中力で練習を重ねていました。

      キャリアは短いが、中身の密度の濃い稽古を行っている集団とでも言ったらよいでしょうか。。9月には2回目の展覧会も開催しました。   勿論生徒の中には、桃子先生のようにつき2回に稽古の時のみの生徒さんも沢山いますよ。

     さて、このグループが、本場中国で開かれた、{米ふつ生誕記念国際書法展}の臨書の展覧会に30名が応募しました。結果、中国、日本全国からの350名程の応募の中から、トップ賞の「グランプリ賞」を2名が受賞しました。そればかりか1,2,3,4,5,位の全て私達の横浜教室が独占、全員が入選、なんと22名が入賞したのでした。 

      トップのグランプリしょうは、スタジオの皮工芸の講師でもある橋田すいり先生、もう一名のグランプリ賞は、昨年私達と一緒にパリ・ブーケショーにも出演した、中谷耀子さんでした、同じくパリのブーケショーに出演した、小寺さんも(五位)、前原さんも揃って上位入賞、またかつてのスタジオのスタッフで活躍してくださった、石出佳代子先生も4位で入賞、

      我らの桃子先生も「二席優秀賞」を見事獲得したのでした。!!!すごーいですよね、これって!!

     「花と書」が切っても切れ務関係といったら独りよがりでしょうか?

     この話は、本当に大きな示唆に満ちていると思います。一生懸命に練習した、一人ひとりの生徒さんもすごいとおもいます、が、まず、全員を入賞に導びき、しかも上位を全て独占したと言う指導者の力量はさらに絶大であり、驚異的であると言わざるを得ません。 

     私も指導者の一人として、はたしたこのような指導がお花の生徒さんに対して出来るであろうか?・・・と。

    もし、私が書道を学ぶので有れば このような師に学びたいと思うのは当然ですよね。

     どのような稽古事でも、まず最高の師を選ぶこと、また、選んだら、指導に徹底的についてゆきマスターすることが輝かしい結果を結ぶもの、とつくづく思い知らされました。 

     入賞された皆さん本当におめでとうございました。これからもますます精進されるよう期待しています。


  • 2003年10月23日1時57分

    10月23日(水)

    {活け込み}

    昨年の12月からたまプラーザにある{金沢まいもん寿司}に活け込みを初めてまもなく1年になる、

    150人〜200人の席のある、大きな大きな回転寿司やさんだ。回転席やテーブル席、座敷、待合室、石庭にかかる赤い橋、つくばいなど、金沢の加賀調の豪華ないでたちで、赤と黒と金色が基調となっている。このインテリアの立派さには、誰でもびっくりするほどだ。

     いけこみをしていると、ときどき玄関を入って中を見て、あわてて帰ってしまう人たちもいたりする、高級寿司やと思われるに違いない。

     しかし、ナイスな割りにリーズナブルな価格が、人気を呼んでいる、特にランチはいい、お寿司に、てんぷら、茶碗蒸し、つくねの大椀のお吸い物、にデザート付で950円。これだけで充分満腹である。 金沢直送の100数十種類のねたによる、お好みで食べても平均1500円〜2000円というのが、豪華な雰囲気の割りに大衆的で嬉しい。

     お寿司のはなしはこの辺で、、、、  この店の、玄関、待合室、テーブル、座敷、つくばい、トイレなどに大小の花を生けるのが私のしごとだ。 一番は、玄関の大作である、市場で最も丈の高いものを探さなければならない。空調の加減で痛みやすい場所なのが難点ではある。

     先週活け込んだ、梅もどきの大木が、まだ結構元気で頑張っでいてくれてほっとする。

    今日は計100個くらい実の付いた2メートル近い柿の木2本と 紅葉した同山ツツジをあわせて今朝、太田市場から仕入れたものです。

     柿の木は、見た目よりものすごく重いのにびっくりしました。たてても上が重くひっくり返りそうで、運搬といけこみには相当苦労しました。 いざとなったら水に入れるのは止めて、立てかけようと思いましたが、左右に張り出た柿の実の重さで結構バランスよく立ってくれました.

     座敷の楓の豆盆栽の苔が、水が切れてかさかさになっており、楓の葉も何枚も枯れていました。本当に高いんだから、水だけはあげて欲しいのだ。

     また紫式部の鉢も葉がすっかりかさかさになって葉が落ちてしまっていました。紫式部はとても水が好きで、切らすとすぐ、葉がぱらぱらと落ちてしまうのです。他人任せの花のケアーには花にも私にもストレスが溜まります。

    デモこの玄関の活け込みは大きい花材を探すのは大変だけれど、私の楽しみの一つでもあるのです。注 この活け込みを実習したい人は、私と一緒に行きましょう。ランチもいかが?


  • 2003年10月15日0時41分

    10月15日(火)

    「クリスマス・レッスンの予約は早めに」

    10月にはいると、もう今年のクリスマス・お正月のデザインの準備を始める。

    桃子先生担当の、資生堂の出張レッスンが毎年クリスマスレッスンのトップで、16日には初スタート、ハローインのデザインとも一緒になる。

      今年のクリスマスのデザインの傾向と新資材をカタログを見ながら予算と合わせてスタジオ今年のデザインを何パターンかを決める。

      又カタログだけでは把握できないので、先生方は何度も何度も問屋に足を運び現物を見て資材を購入、サンプルをデザインする。

     ヨーロッパではクリスマスの準備は早い、パリのクリスチャン・トルチュ勤務のお馴染みの斉藤由美さんからのメールによるレポートによると、  パリでは今年は、9月始めに「メゾン・エ・オブジェ」が開催され、雑貨、食器、インテリア、クリスマス・デコレーションなどの関係の見本市が開かれる、世界中から、日本からも大勢のバイヤーが買い付けにきて、由美さんは、日本人関係者の接待に忙しいとのことであった。

     同じような見本市が、ヨーロッパ各国で催されバイヤーーは各国をはしごして買い付けに走るのである。

     そんなわけで安くて洒落たクリスマスのグッズは全て、輸入品で初めから、限定数しかなく、売り切れは早く、追加は期待できない。日を追うごとに品切れが目立ち割高となる。

    そんなわけでスタジオでも限定何個と限って、予約を取ることにしている。プレゼントや、教えることを考えている人は「予約数とレッスン」は早めをお奨めいたします。  


  • 2003年10月11日0時28分

    -------------------------------------------------------「内孫誕生」10月10日(金)

    我が家の長男夫妻に赤ちゃんが誕生しました。初の内孫です

      予定日から3週間待ち続けやっと、10月7日朝に男の赤ちゃんが誕生しました。帝王切開でした。 赤ちゃんが育ちすぎた上、陣痛が3週間過ぎても始まらなかったためです。

     何と約4500グラムという超大きい赤ちゃんでした。 産まれて1ヶ月以上経った体重とかで、頭も手のひら一杯で、新生児服も足が出そ う。どっしりと重いので、毎日の看護婦さんがタイミングをはずして慌てています。

      隣室の赤ちゃんは、2500グラムだったので、見比べるとすごい差です。オレン ジと夏みかんという感じ・・・・・・病院でも初産でこの体重はは初めてだそうです。新生児室では人気者らしいです。

     顔は、息子がが生まれたときとそっくり瓜二つです。赤ちゃんを抱いていると息子が産まれたときにタイムスリップしたようです。

     名前は「研人」(ケント)です。ふてぶてしくて(ママはりりしいと言っているのですが)研太の方が似合っているような顔ですが・・・・・外国での呼び名にも考慮して、息子夫婦がつけたものです。

      来週の日曜日(19日)あたりに、永の我が家に揃って凱旋?の予定です。大人ばかりの我が家もこれから賑やかになりそうです。 これで孫が5人になり、いっぱしのおばあちゃんになりました。めでたし!!めでたし!! の巻。


  • 2003年10月8日0時19分

    「プリザーブドフラワーの世界展」

    {桃子先生、馬場しんり先生2人揃ってトップ10に入賞}

     さる9月3日(水)〜8日(月)新宿高島屋にて開催された、「プリザーブドフラワーの世界展」に桃子、しんり両先生が応募いたしました。

     プリザーブドフラワーとは、最新の新製品で、生花を特殊加工し、着色したもので、生花の柔らかい風合いを残したまま、色落ちも少なく、何年も保つ事が出来るという、画期的な「花」という新商品です。

      ドライフラワーの欠点である、湿気のよる色落ちや枯れ落ちと、虫などの心配が無いのと、ソフトタッチの生花の感触を残したままというのが何よりのセールスポイントでしょう。

     高価でも、本物志向と、長持ちさせたいという日本人の好みには、ぴったりできっと多くの需要があると期待される目下注目の高い「花」といえます。 

     さて、コンテストは プロ限定というハイレベルな条件のもとに、350数点の応募があったそうです。

    最近人気の高い、仮屋崎省吾氏他3名の各界トップの審査員によって50名が選考され、見事桃子先生、しんり先生の両先生がそろって入選いたしました。

      展示会では この4名のトップアーテイストの最新アレンジ・ウエディングアレンジ、の展示と共に、この50点の作品が展示されました。

      会場では、人気の花道家、仮屋崎省吾氏のサイン会などが催され、土、日や最終日などは、ぎっしり満員で前の人の髪がつく程であったそうです。

     さらに、さらに、最終日の最終審査によって、トップ10が選考され、なんと、見事、桃子先生、と、しんり先生がそろって、ベスト10に入賞いたしました。 350点のうちのベスト10と言うことは、これはほんとうに素晴らしい事です。

     桃子先生は,過去15年、しんり先生は10年にわたって、このスタジヲの双峰となって、共に生徒さんの指導に当たってきました。

      特に桃子先生は、生花のデザインと共に、ドライフラワーコースの専任デザイナーとなって、日夜、新素材、新製品を駆使して、新デザインを提供してきました。  永年のこれらの実績の上に、今回の新製品、プリザーブドフラワーにも早くから着目し、1999年のブケショーには、真新しいプリザーブドフラワーのブーケを、いち早く発表いたしました。

      今回の2人の作品は、単にプリザーブドフラワーだけを、単調にデザインしたものではなくざまざまな副素材によって、有効的にプリザーブドフラワーを活かした作品で、密度の高い精巧な作品であったと私は、高く評価しています。

      シンプルで、限られた種類と、色彩の花を、ただパズルのようにうに組み合わせるだけでなく、如何に味わい深く、飽きのこない独自のデザインにしてゆくかが、こらからのデザイナーの正念場となると思っています。

      現在作品は、福岡県、博多市高島屋、にて8日から1週間、展示会が開かれ、この後系列デパート、都ホテル系など、各地で展示される予定とのことです。

      スタジオでは、このプリザーブドフラワー教室開設コースが、新たに新設されます。会員限定の体験レッスンも進行中です。つづく


  • 2003年10月1日0時17分

    9月30日(火)

    「グランド・チャンピオン東京選手権大会}

    その2「花は人と人を結ぶ」

     有楽町の国際フォオーラムには、渡瀬公子先生と一緒にゆきました。先生とは、1997年ドイツ・とスイスでのフワワーデザイン研修旅行以来の友人で、2000年、ベルギーでのジャパン・フェステバルで、会場と教会エントランスの花の飾り付けを、担当させていただいた2人の仲間の内の1人です。

     有楽町・国際フォーラムでの競技会は、たしか5000名位収容できる会場で、1階は超満員となっていました。

      昼食をとりに入ったレストランで、「青木先生!!」と声をかけられ、びっくりして振り向くと、97年、オランダ・アムステルダムのインターフロラ・ワールドカップを一緒に見に行った、北海道・札幌市の「花保」の社長、清水さんご夫妻でした。一緒に行った お嬢さんのサクラさんもご会場に見えていられるとのこと、多分今年も入選作に選ばれたことと思います。サクラさんは数年前のジャパンカップの入賞者でもあります。

     私達は、アムステルダムのそのワールドカップの終了後、オランダ北部のフラワーパレードをみにゆき、前夜に、それぞれの街のパレード制作準備会場を次々と訪ねて廻ッたことを思い出しました。

      百人以上ともいえる人々がそれぞれの準備会場に集合し、長いトレーラーの上に巨大なステージを建設?その土地で生産された、世界に出荷される色とりどりの多種、大量の花を惜しげなくぎっしりと飾り付け、巨大な花物語の舞台を制作していました。

      2階建てのトレーラカーにかけられた、はしごを私達は一人ずつ順番によじ登りながら足場を渡ります。、1階、2階のそれぞれのパートを、人々が4〜5名ずつが分担して全てのパートをヘットデザイナーの指示の元、所狭しと制作にあたり、階下では、がーランドを延々と作る人、食事ヲ用意する人、夜のテントの内外に光るライトと、人々が入り交じって、明日のパレードとコンテストのために街の名誉をかけて、完成を急いでいます、まさに花の国オランダの祭りの前夜祭の過熱ぶりでした。

    。 この旅を車で案内してくれたのは、何と今世界的に著名なウイリアム・ハズラー氏と、彼の息子さんでした。 勿論、この旅でハズラー氏のデモストレーションもたっぷり見せていただきました。 夜のデナーには、95年に師事したテオ・ブールマ先生もかけつけてくださいました。 

    さて、この日の有楽町国際フォーラムでは、私達がオランダに応援に行った、日本代表の中家匠海氏にとも再会しました。

      また、前々回この「独り言」でご案内した、倉敷の高橋洋子先生とも、会場でばったりお会いし、先日の倉敷でのデモについてなど、少々お話しする機会を得ました。

     元もと高橋先生とも、97年のアムステルダムのワールドカップの会場でお会いしたのが今日のご縁のはじまりでした。高橋洋子氏は、前述のとうり次の2002年のワー−ルドカップで見事3位に入賞しました。

     そういえば、このアムステルダムのワールドカップのパーテイ会場では、世界中から花のプロが何千人も集まり、大変な盛況でしたが、97年スイスで研修を受けた、ノウハウ校長ニコル・ボレッキー先生にばったり出合いました。 ニコル先生の方から声をかけられ、びっくり、思いがけぬ出合いにお互い歓声をあげ、再会を喜び合いました。 

      海外でも、国内でも大きな「花」のイベントでは、このように懐かしい人々との思いがけぬ再会に遭遇することは又格別な歓びです。

      私達は、花のあるところにどこからともなく集まった来る、蝶や蜜蜂のように、花が私達を引き合わせてくれる生涯の花友達なのだとつくづく実感いたしました。

     来年の岐阜のグランド・チャンピオン選手権大会!!次回のワールドカップの開催地‥オーストラリア!!オーストラリアには会員の戸田早苗さんもいますね!!花と人との出合いは、ほんとうにわくわくします。


  • 2003年9月26日1時17分

    9月25日(木)

    2003年度「グランドチャンピオン選手権」

    が8月27、28日に有楽町の国際フォーラムで開かれました。 5500店の加盟店でお馴染みの花キューピットJFTD・全国の花屋さんがが主催の全国大会です。

     恒例となった目玉は、フローリストとしての技能を幅広く競い合う「ジャパンカップフラワーデザイン競技会」です。 この優勝者がグランドチャンピオンとなり、4年に1度開かれる、ワールドカップの日本代表となります。

     前回のグランドチャンピオンは、前回の「独り言」でご紹介した、倉敷の高橋洋子氏で、2002年にオランダアムステルダムで開かれたワールドカップに出場し、日本は3位となりました。

    今回の10名の参加者は、すべて男性です。

    その一人永塚慎一さんは、横浜・中区の花の老舗「大和生花店」の専務です。 「大和生花」は、我がスタジオとも、縁が深く当スタジオに過去5名程の会員の在籍があり、現在もOBが勤務しており、私のスタジオの草創期より店主から、多くのご支援をいただいた横浜宸Pの老舗です。

      非公開協議(2種)と公開競技(3種)サプライズ・ブーケとサプライズ・アレンジメントを各テーマに沿ってステージ上で20分〜30分の制限時間と戦いながら大作を作り上げる壮絶な?競技です。

       展示作品は、600店のの参加店から、1次予選で160店、2次予選で75名店が選出され前年度の10名を加えた85店で、競技されました。これらの作品は、1年がかりでアイデアを練ったもので、その完成度は完璧で、どの一つをとっでも「素晴らしい!!」の一言です。

     この東京大会を私はスタジオの全会員に見て欲しかったと、悔やんで反省しています。来年度は、岐阜県が主催となります。ちょっと遠いですが、是非ゆきたいと思っています。

      ワールドカップは参加国20数カ国ですが、80数点を1度に見ることが出来るジャパンカップは、ワールドカップに勝るとも劣らない、日本の水準の高さを満喫することが出来ると思います。

     イベントとしての花博や、蘭展とは全く異なった、このフラワーデザイン大競技会を、来年度は会員の皆さんと一緒に見にゆけたらどんなによいかと切に思っています。花のデザインを見る満足度200%うけあいます。

       そんなときは、スタジオは、お休みですね、この大会は夏の(水,木曜日)の花市場の休みに日に行われます。行きたい人声かけてください。 この催しは、全国の花屋さんの協会のコンテストで最終審査でのこった1名が20年度のワールドカップの日本代表となる


  • 2003年9月22日23時31分

    9月22日(月)「倉敷で行われたのデモストレーションに参加して」

    大分遅くなってしまいましたが 6月29日(日)倉敷で開かれた、高橋洋子先生のスタジオ10周年記念企画のフラワーデザインのデモストレーションの研修にいってきました。

    デモストレーターは、ワールドカップ2003年の優勝者ポー・ベンジャミン氏(スエーデン)と、過去におけるワールドカップ第2位の吉野美枝子氏、同じく2003年第3位の高橋洋子氏の3名である。

     この超豪華な顔ぶれによるデモストレーションのご案内を 高橋洋子先生からお誘いをうけて、私は即刻出席の申し込みをしました。

     当日早朝、新幹線で一人、一路岡山に、会場の倉敷、アイビー・フローラル・コートは、370名程の参加者で熱気に満ち溢れていました。

     ベンジャミン氏のデザインは、カラフルでビビットな色彩による、意外性のある作風と素材の組み合わせでそのデザインは独創的で一つ一つの素材を意識させずに、全体的な意図を感じさせられる かなり個性的なデザイン群で見応えのあるものでした。

       また吉野実江子氏のデザインは、見事ににショーアップされた、洗練されたデザインの連続でどの作品も大きな拍手が沸き起こっていました。

     高橋洋子先生は、地元岡山県特産の「イ草」を素材の基調としたユニークな作品で、アレンジは勿論、ブライダルブーケ、ヘットドレスに至るまで、イ草が大胆かつ繊細に取り入れられたもので、イ草にあしらう花は、清楚で、楚々とした山野草がごく控かえ目に用いられ、高橋先生らしい落ち着いた作風の中にも、独自性を忍ばせる作品のかずかずが印象的でした。

      会場の中庭の池にはイ草や竹を組み立てた大作が堂々と並び見事な作品群となっ水面と立体のハーモニーを演出していました。3者の三人三様の個性がはっきりと表現された作品の洪水に息つく間もない程の分刻みの3者の競演に酔いしれ又堪能したひとときでした。

     今回は「オールド・イズ・ニュー」をテーマとしたものでした。巨匠三者の量・質共に心ゆくまで堪能できた倉敷での密度の高い研修の1日でした。ありがとうございました。

     デジカメで 写真を撮ったのですが、初心者なので取り込めません、そのうち頑張ります。普通の写真もあります。希望者はスタジオまで。


  • 2003年6月18日23時13分

    6月17日(水)

    「斉藤由美さんのデモ&レッスン」について、

    待望の4月13日のパリの新進デザイナーヤニック氏のデモ&レッスンが、彼の前日の交通事故のにより来日不能となり、急遽パリから斉藤由美さん一人による、デモス&レッスンに変更となった。

    レッスンは次の日に迫っていた。慌てたわたしたちはひとりひとりに連絡し事情をはなしてお詫びの電話に明け暮れた。

    申込者の殆どが快よく、理解してくれて変わらず参加してくれると約束してくれた、絶望的な状態の中から、私達スタッフはうれしさに、手を握り合って喜び合った。

    生徒の皆さんが、デザイナーの名前によってのみ参加してくれたのなら,全員キャンセルのはず・・・・、それがはからずも皆が、私達に同情し、私達を信用しこの窮地を理解して協力してくれたことを知り、胸が熱くなった。

    料金は、思い切って半額にしたものの、参加者が、想像以上にカンパをしてくださったことも感激でした。

    参加者の皆様、この度はほんとうにありがとうございました。早くから、お手伝いくださったアシスタント皆さんありがとうございました。

    ///////////////////////////////////////////////////

    { 斉藤由美さんのデモ&レッスン、}

    1」雲竜30本、紫チュウリップ、紫カラー、ピンク胡蝶蘭。グロリオサ、

    2」50本のイブピアッチェとクレマチスのブーケ。

    3」アネモネ20本、スイートピー20本の水中ブーケ。

    今回の催しによって私達は別の意味で、パリ・トルチュウの店で3年間研修し、名実共に成長した斉藤由美さんの新たなデザイナーとしての、彼女の新たな旅立ちを目の当たりに見たようでした。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    昨年11月のパリブーケショー、2月の終了式とブーケショー、そして4月今回のこの件がつづいて、そして、3年ぶりにアメリカから帰国した次男の日本滞在、我が家のリホーム・・・・・・など重なって、「独り言」すっかり休んでしまいました。


  • 2003年3月31日1時33分

    3月29日

    「パリよりヤニック、来日企画」

    スタジオ主催で、4月13日(日)午後2時〜「デモ&レッスン」 開催します。

    昨年のパリブーケ公演の際、クリスチャントルチュウの店で、ブーケのデザインをして、見せてくれたのがヤニック氏、

    同じ、トルチュウの店のフルーリスト、斉藤由美さんが天才と仰ぎ、師とと仰ぐと、紹介してくれたのがヤニック氏との出合いでした。

    その時のブーケは、今まで一度も見たこともない、アフリカからの花材を使ったもので、繊細かつ、技巧的な密度の高い作品で、出来上がったとき私達は思わず、歓声をあげてしまったほど、魅力的なブーケでした。 

    現在ヤニック氏はトルチュウの店をやめ、今年から、ベルサイユの店の店長として活躍中で、就任そうそう、JALの機内誌などにも紹介され、その名声をきいて世界中から注文が、来ているとのことです。

    今回の来日にあわせて、友情による、私達のスタジオ主催の少数規模の、「デモと、直接のレッスン」が受けられることは、またとないチャンスです。

    パリに行っても受けられないヤニックの直接指導をこの機会に是非身近で経験出き得るよう、私からも皆さんに心からお薦めいたします。参加はどなたでも歓迎いたします。<P>詳細は、スタジオHP,催し案内、または、直接電話でお問い合わせ下さい。

    tel-045-261-5529


  • 2003年2月20日23時37分

    37回[了式&ブーケショー]を終わって

      2月16日無事終了式&ブーケショーが終りました。

    みぞれ交じりの寒い日でしたが、子ども達も入れて160名の皆さんの出席があり、稲垣節子氏の女性にエールの力強いスピーチに励まされたあと、佐藤氏の祝辞、友寄英哲氏の乾杯で、親睦パーテイが始まり、続いてアットホームな雰囲気のなかでブーケショーが開かれました。皆さんの暖かいまなざしと、拍手でショーが終したことを、お知らせいたします。

    当日の私の挨拶をコピーいたします。これは昨日打ったものですが、わたしのミスで読みにくくなったのであらためて打ち直しいたしました。

         2003年修了式&ブーケショー

    2月16日

                    「挨拶」

                         本日はお忙しいところを、会員の皆さんはじめ、お客様の皆様には遠路よりわざわざご出席いただきまして、誠ににありがとう御座いました。

        この修了式も今年で37回を迎えました。特に昨年は私のスタジオの記念すべき年となりました、ご案内のように「パリでブーケショー」を公演させていただきました。 ご承知のように思わぬ飛行機事故に直面するというハプニングもありましたが、参加者全員一致協力し、また、フランスのの友人達に助けられての無事に終了することが出来ました。 皆様の日頃のご支援ご協力によるものと、重ねて御礼を申しあげます。

            今回この催しをご案内いたしましたところ、返信に「パリの成果を期待しています」と言う便りを何通もいただきました。

     さて、「パリ・ブーケショー」の成果とは一体何であったであろうかとあらためて考えてみました。

      そもそも今回はシャンソンの律彩子さんのリサイタルとの共演でした。シャンソンはフランスが本場だし、ブーケも欧米の文化、何を今更フランス?という考えもあるかと思いましすが、「歌と花」は世界の共通語、技術や形式を超えた一人ひとりの表現で、21世紀は「国と国の友好の合い言葉に」したいと言う主旨のもとの企画となりました

        これまでの日本は、新しい技術やデザインを求めて、毎年、毎月どこかで海外研修がもたれ、結果日本の技術は、瞬く間に世界の高レベル達しました。

     しかし一方で、 受けるばかりで提供しない日本人という定評が世界に広がっていました。私は日本の伝統的生け花の土壌の中で、繊細な技術と日本人の美意識の素晴らしさを再発見し、自信と誇りを持って世界の人々に発信し、自分の持っているものを提供することが、今の私達に求められていると考えました。

      おそらく今回日本初のブーケショーの出演者にプロはいませんでした。ごく普通の職業の女性で初めてと言う人たちもいたくらいで、失敗もありましたが、それでもありのままの民間レベルの交流は想像以上の好意をもって迎えられ、拍手と声援のもとに終幕したことは、その意味で一つの布石であったと思っています

      又、この公演は、全て自分たちの手作りの企画でした。  律彩子先生は5回のオーでションを受けて劇場を借りるところから、私達は自分たちのポスター、招待状、プログラムの制作、翻訳、パリでの配布、オプションの研修の企画など、直接現地に行ったり、通信を駆使しての交渉となりました

      これらの準備を通して、フランス側と、日本人の大きな違いというものを経験いたしました。

    一例をあげれば、ショー当日の私の挨拶の通訳者は、私の原稿を読んで、これではフランス人には通じない、意味が解らない、といって、内容の解釈や、日本人論にいたるまで 高圧的に、自分の考えを主張して、自分でカットしたり、訂正をしました。 通訳者に通じないといわれれば、やはり通じなくては意味がないと思い相手の意見に従い、任せました。

      開幕直前ということもあって、通して読むこが出来ず、その結果何かがぽっかり抜け落ちで、終わりの挨拶のようにも受け取れるようになってしまい、何人かの観客が席を立つというようなことが起こってしまいました。

      確かに日本語の表現は、外国人にはよく解らないということは充分理解できます。が、日本では黒子のような存在である、通訳者がここまで自分の意見を主張しなければ、埋まらない文化の差と、自分の職業への自信とプライドには驚かされました。

       又研修会の交渉でもフランス側は、自分の条件を最大級に打ち出します。ギャラ、日時、内容、人数、などの条件を・・・予算の2・5倍、定員は2分の1に主張してきした。

       個人料金と集団料金の違いがなかなか納得してもらえません。 私は、相手のプライドを傷つけないよう気を使いながらの日本語の表現をとるためこちらの本意がはっき伝わらないという指摘をうけながらも、なかなか結果が出ず日時も迫り、苦慮していました。

         しかし、同じようないくつかの出来事が重なって、はっと、これは彼らの個人的な性格ではなく、フランス人の国民性ではないかな、気が付きました

      フランス在住30年の私の友人がフランスに来ていつもガンガン攻撃的に言われ、圧倒されっぱなしで悶々としていたが、そうだ自分も自分の意見をガンガン言い返せばいいのだ、と気が付くのに10年かかったという言葉を思い出しました。

        このことが解って、気分がすっかり楽になり、およそ日本では使わないようなストレートな表現で自分の言い分と本意をはっきり伝えてその結果、合意の元に研修の企画をすっきりキャンセルし、デモストレーションの見学に予定変更をしました。日本であるような後味の悪さなどは全く残りませんでした。

       フランス人ばかりでなく、欧米人は皆、自己というのがしっかり確立していて、その上、論鯉的に議論することを学問としても成立しており、何事においても、論理的に、徹底的に自己主張を完徹する、そして相手にうち勝って、言葉が出なくなったほうが負けというような勉強が学生のころから訓練されている、ということも解りました。

      でも、お互いの自己主張を絶対化し完徹しようとすれば、夫婦なら離婚、国家間なら戦争と犠牲者を出す事は明らかであると思います。

     それに対して私達日本人は議論する前にまず、協調しようと考えます。その是非は別として、   ”ア・ン”の呼吸、とか”以心伝心”などといって、いたずらに議論することを避け、相手を理解することに、感受性のアンテナでキャッチし、言葉の端はしから事の本意を感じ取っていこうとする独特の国民性をもっていると思います。

     又「和」とか「周囲との調和」と言う言葉に馴染みやすいく、また尊いとする日本人の資質は、今世界で最もに必要とされている重要なキーポイントであると思います。

      しかし、国際社会にあって、沈黙は美徳ではなく、無力、無能力として無視され軽視されます。 私はもっと自分のこの意見や反論を論理的に堂々と口に出して言わなければならなかったし、議論にも決して負けてはならなかったと思いました。

         アメリカのイラクの攻撃を目の前にし、今日本人も戦場に立っています。また食料一つとっても、90%以上を世界に依存している日本にとって、好むと好まざるとに関わらず、世界の渦中にいるのであり自国生存と生命のためにも、沈黙、無行動の日本人であってはならないと思います。

        かつて、日本は無血の明治維新を経て、「羽織袴に靴」履くという、見事に異文化を取り入れた「和洋折衷」を実現した国です。この経験済みの「折衷」と言う智恵”が”今日の国際紛争の中で、さまざまな分野に重要な「方向性と進化」をもたらすのではないかと考えます。

     イギリスのフィナンシャルタイムズ紙の調査によると、世界で最も尊敬される経営者の第7位に入った、  日産のカルロス・ゴーン社長は、フランス人は、概念化が早く明快だが、実行に時間がかかる、日本人は概念化に手間取り、フランス人だったら髪をかきむしっていらだつところだが、実行段階では、迅速、効率的、である・・・と。彼はこの文化的相違が「革新」をもたらすという信念を持っているそうです。

         幸いにして、クリスマスと葬式以外は無宗教の日本人、神社仏閣などという言葉の中にも神と仏が共存する風土の中で、国民は生まれた時は宮や参り、死んだと時はお寺で仏さまを拝む、というように慣習化したこの中立共存の考えは、一神教同士の骨肉の争の渦の中で非常にユニークな存在であると思います。

      21世紀は、、過去の日本人の偉大な遺産である「和と調和」の思想と「和洋折衷」というの文化の折衷案は大きな希望の小槌と言えます。私は、この2つに「博愛、愛」を加えたいと思います

         そしてこの仲介者の第一適任者は、女性であると思います。あ<P>  女性の出産育児と言う特質はは根元的に平和的志向であり、育児によって訓練される、柔軟性と忍耐力は、平和の担い手にとして、必要不可欠な条件といえましょう

     このパリ公演を通して、まざまざと感じた、1対1の人間としての論理的な議論能力の未熟さと、反面それを呑み込んで広く「共存」することの出来る温厚な柔軟性を、日本人の特質と重ねて、この弱点を克服すれば、私達日本人は異国間の仲介者として、重要な役割を担う事が出来ると教えられたことでした。

       今回ブーケショーで知り合った多くのフランス人や、在仏の日本人とよく、議論して、理解を深め、私の国際ステージにあって、片手に花を、片手に「調和と共存」と、「博愛」の旗印をもって、、国際社会における、私らしい、役割を果たしたいと願いまして、本日の挨拶に代えさせていただきたいと思います。

      


  • 2003年2月20日22時32分

    昨日のひとりごと、見にくくなったので、書き換えます。


  • 2003年2月20日1時17分

        2003年修了式&ブーケショー

    2月16日

                    「挨拶」

                         本日はお忙しいところを、会員の皆さんはじめ、お客様の皆様には遠路よりわざわざご出席いただきまして、誠ににありがとう御座いました。<P>    この修了式も今年で37回を迎えました。特に昨年は私のスタジオの記念すべき年となりました、ご案内のように「パリでブーケショー」を公演させていただきました。 ご承知のように思わぬ飛行機事故に直面するというハプニングもありましたが、参加者全員一致協力し、また、フランスのの友人達に助けられての無事に終了することが出来ました。 皆様の日頃のご支援ご協力によるものと、重ねて御礼を申しあげます。<P>        今回この催しをご案内いたしましたところ、返信に「パリの成果を期待しています」と言う便りを何通もいただきました。<P> さて、「パリ・ブーケショー」の成果とは一体何であったであろうかとあらためて考えてみました。<P>  そもそも今回はシャンソンの律彩子さんのリサイタルとの共演でした。シャンソンはフランスが本場だし、ブーケも欧米の文化、何を今更フランス?という考えもあるかと思いましすが、「歌と花」は世界の共通語、技術や形式を超えた一人ひとりの表現で、21世紀は「国と国の友好の合い言葉に」したいと言う主旨のもとの企画となりました<P>。    これまでの日本は、新しい技術やデザインを求めて、毎年、毎月どこかで海外研修がもたれ、結果日本の技術は、瞬く間に世界の高レベル達しました。<P>、 しかし一方で、 受けるばかりで提供しない日本人という定評が世界に広がっていました。私は日本の伝統的生け花の土壌の中で、繊細な技術と日本人の美意識の素晴らしさを再発見し、自信と誇りを持って世界の人々に発信し、自分の持っているものを提供することが、今の私達に求められていると考えました。<P>  おそらく今回日本初のブーケショーの出演者にプロはいませんでした。ごく普通の職業の女性で初めてと言う人たちもいたくらいで、失敗もありましたが、それでもありのままの民間レベルの交流は想像以上の好意をもって迎えられ、拍手と声援のもとに終幕したことは、その意味で一つの布石であったと思っています<P>  又、この公演は、全て自分たちの手作りの企画でした。  律彩子先生は5回のオーでションを受けて劇場を借りるところから、私達は自分たちのポスター、招待状、プログラムの制作、翻訳、パリでの配布、オプションの研修の企画など、直接現地に行ったり、通信を駆使しての交渉となりました<P>。  これらの準備を通して、フランス側と、日本人の大きな違いというものを経験いたしました。<P> 一例をあげれば、ショー当日の私の挨拶の通訳者は、私の原稿を読んで、これではフランス人には通じない、意味が解らない、といって、内容の解釈や、日本人論にいたるまで 高圧的に、自分の考えを主張して、自分でカットしたり、訂正をしました。 通訳者に通じないといわれれば、やはり通じなくては意味がないと思い相手の意見に従い、任せました。<P>  開幕直前ということもあって、通して読むこが出来ず、その結果何かがぽっかり抜け落ちで、終わりの挨拶のようにも受け取れるようになってしまい、何人かの観客が席を立つというようなことが起こってしまいました。<P>  確かに日本語の表現は、外国人にはよく解らないということは充分理解できます。が、日本では黒子のような存在である、通訳者がここまで自分の意見を主張しなければ、埋まらない文化の差と、自分の職業への自信とプライドには驚かされました。<P>   又研修会の交渉でもフランス側は、自分の条件を最大級に打ち出します。ギャラ、日時、内容、人数、などの条件を・・・予算の2・5倍、定員は2分の1に主張してきした。<P>   個人料金と集団料金の違いがなかなか納得してもらえません。 私は、相手のプライドを傷つけないよう気を使いながらの日本語の表現をとるためこちらの本意がはっき伝わらないという指摘をうけながらも、なかなか結果が出ず日時も迫り、苦慮していました。<P>     しかし、同じようないくつかの出来事が重なって、はっと、これは彼らの個人的な性格ではなく、フランス人の国民性ではないかな、気が付きました<P>。  フランス在住30年の私の友人がフランスに来ていつもガンガン攻撃的に言われ、圧倒されっぱなしで悶々としていたが、そうだ自分も自分の意見をガンガン言い返せばいいのだ、と気が付くのに10年かかったという言葉を思い出しました。<P>    このことが解って、気分がすっかり楽になり、およそ日本では使わないようなストレートな表現で自分の言い分と本意をはっきり伝えてその結果、合意の元に研修の企画をすっきりキャンセルし、デモストレーションの見学に予定変更をしました。日本であるような後味の悪さなどは全く残りませんでした。<P>   フランス人ばかりでなく、欧米人は皆、自己というのがしっかり確立していて、その上、論鯉的に議論することを学問としても成立しており、何事においても、論理的に、徹底的に自己主張を完徹する、そして相手にうち勝って、言葉が出なくなったほうが負けというような勉強が学生のころから訓練されている、ということも解りました。<P>  でも、お互いの自己主張を絶対化し完徹しようとすれば、夫婦なら離婚、国家間なら戦争と犠牲者を出す事は明らかであると思います。<P> それに対して私達日本人は議論する前にまず、協調しようと考えます。その是非は別として、   ”ア・ン”の呼吸、とか”以心伝心”などといって、いたずらに議論することを避け、相手を理解することに、感受性のアンテナでキャッチし、言葉の端はしから事の本意を感じ取っていこうとする独特の国民性をもっていると思います。<P> 又「和」とか「周囲との調和」と言う言葉に馴染みやすいく、また尊いとする日本人の資質は、今世界で最もに必要とされている重要なキーポイントであると思います。<P>  しかし、国際社会にあって、沈黙は美徳ではなく、無力、無能力として無視され軽視されます。 私はもっと自分のこの意見や反論を論理的に堂々と口に出して言わなければならなかったし、議論にも決して負けてはならなかったと思いました。<P>     アメリカのイラクの攻撃を目の前にし、今日本人も戦場に立っています。また食料一つとっても、90%以上を世界に依存している日本にとって、好むと好まざるとに関わらず、世界の渦中にいるのであり自国生存と生命のためにも、沈黙、無行動の日本人であってはならないと思います。<P>    かつて、日本は無血の明治維新を経て、「羽織袴に靴」履くという、見事に異文化を取り入れた「和洋折衷」を実現した国です。この経験済みの「折衷」と言う智恵”が”今日の国際紛争の中で、さまざまな分野に重要な「方向性と進化」をもたらすのではないかと考えます。<P> イギリスのフィナンシャルタイムズ紙の調査によると、世界で最も尊敬される経営者の第7位に入った、  日産のカルロス・ゴーン社長は、フランス人は、概念化が早く明快だが、実行に時間がかかる、日本人は概念化に手間取り、フランス人だったら髪をかきむしっていらだつところだが、実行段階では、迅速、効率的、である・・・と。彼はこの文化的相違が「革新」をもたらすという信念を持っているそうです。<P>     幸いにして、クリスマスと葬式以外は無宗教の日本人、神社仏閣などという言葉の中にも神と仏が共存する風土の中で、国民は生まれた時は宮や参り、死んだと時はお寺で仏さまを拝む、というように慣習化したこの中立共存の考えは、一神教同士の骨肉の争の渦の中で非常にユニークな存在であると思います。<P>  21世紀は、、過去の日本人の偉大な遺産である「和と調和」の思想と「和洋折衷」というの文化の折衷案は大きな希望の小槌と言えます。私は、この2つに「博愛、愛」を加えたいと思います<P>     そしてこの仲介者の第一適任者は、女性であると思います。あ<P>  女性の出産育児と言う特質はは根元的に平和的志向であり、育児によって訓練される、柔軟性と忍耐力は、平和の担い手にとして、必要不可欠な条件といえましょう<P>。 このパリ公演を通して、まざまざと感じた、1対1の人間としての論理的な議論能力の未熟さと、反面それを呑み込んで広く「共存」することの出来る温厚な柔軟性を、日本人の特質と重ねて、この弱点を克服すれば、私達日本人は異国間の仲介者として、重要な役割を担う事が出来ると教えられたことでした。<P>   今回ブーケショーで知り合った多くのフランス人や、在仏の日本人とよく、議論して、理解を深め、私の国際ステージにあって、片手にブーケを、片手に「調和と共存」と、「博愛」の花束をもって、、国際社会における、私らしい、役割を果たしたいと願いまして、本日の挨拶に代えさせていただきたいと思います。<P>  


  • 2003年1月15日12時0分

    2003年 1月15日(水)

    「正月雑感」

    ちょっと遅くなりましたが新年おめでとうございましす。

    今年のお正月は、いえ今年もお正月は山北にある洒水の滝の近くの宿で元旦を迎えました。文覚上人ゆかりの地というのが少し古をしのばせます。この数年、夫婦で恒例になりつつある年末年始は外泊でという年越しのスタイルを私はとても気に入っています。

     一年に1回だけ仕事と日常性を中断して、無為の時に浸ることができるこの年初めは生活と時間をすっかり忘れさせてくれます。

     まさに天から直接ふりそそぐ「今」が滝のように全身に浸みわたります。 何もせず、何も考えず、ただ在るのみ、という空白の時が自分を1つの生命体にかえしてくれます。

     「このれでいい、これでいい」有り様だけが大きく膨らみます。

     このような自分が今ここに在るということ、そしてありのままに浸りきった今が浮遊し、自分が何者であったかを忘れかけるとき、「無為をもって最高の徳とする」という言葉が脳裏をかすめます。

    沸き上がるしあわせを感じる瞬間です。

      幸せのために何を為すのかではなく、幸せのためにどう「在」るのか、1秒でもいい、10分の1秒でもいい 自分が幸せで在ること、何の条件もない全くの幸せで在ること、を体感する・・・・・・・

      幸せを味わう手段として,あれもする、これもする、あそこに行く、ここに行く、はずなのに、あまりの煩雑な日常の連鎖にまきこまれて、ひたすら行動する事だけにあけくれる。そして目的を見失ったり、先送りしてしまっている。

      滝を見ながら思うこと、それはこの自然の中で木や森や山は動かなくてもただじっと存在しているだけで充分に美しい! 素晴らしい!

      動き廻る我ら動物は植物や自然から学ぶことが大きい、芸術も思想もみなこの自然の模倣といわれている。

       ・・・・・・・・・・・ そんなお目付役の自然も衰え始めている、空気も水も危険で高い物になってしまった。 

      平凡な人の幸せさえ奪いさろうとする、戦争の足音も声高にきこえはじめている・・・・・・・・・

     修了式とブーケショーだって、もうすぐ ・・・・・・・・・ 

     ワー 大変!! やらなければならないことがまたまた山ほど有るではないか・・・・ 

    時間がない、1人では出来ない! みんな一緒に手伝ってー!!

    今年もまたまた愛すべき業深き者のスタートとなりました。 

             ・・・・・・・・・・

     皆さん今年もぜひ出演とお手伝いとご出席をお願いいたします。お友達ご家族にも1人でも多くの方にご案内して下さい。

     37回修了式とブーケ発表会のご案内2月16日(日)17:00会場  17:30開始新横浜下車、5分(送迎バス有り) ソシア21ビュフェデイナー付き問い合わせはスタジオ、またはEMで、


  • 2002年12月8日14時33分

    12月8日(日)「パリブーケショーを終わって」

    11月14日〜21日パリブーケショーを大盛況のうちに終了し全員無事に帰国いたしました。参加者はじめ、皆様のご支援ご協力を心から感謝いたしております。 以下パリブーケショーの経過と感想を報告をさせていただきます。

       好事魔多しといわれますが昨年予定したショーはは参加者が全員決まり、ポスター入場券まで出来あがってから、テロ事件の影響によってやむなく中止となったことは、ご存知のとおりですね、

      今回はといえば、エールフランス社が起こした飛行機事故という不測の事態に遭遇しました。出発の遅延、エンジントラブル、成田への緊急着陸、成田宿泊場所の決定遅延、ロンドン経由便への変更、JAL社の起用、結果として30数時間の到着遅延など、多くの予測出来ない事態に直面いたしました。

     それでもショーの公演になんとか間に合うことが出来たのは、日通旅行社の努力によるものでした。

     とりもなおさず全員が無事であったことは何にも代えられないほど良かったことと思っています。おかげさまでブーケショーは大成功の内に終了することが出来ました。これもスタッフをはじめ、全参加者の懸命な努力とご協力によるものと、深く感謝いたしております。もっと不平や不満や突然キャンセルなどがあっても不思議ではない状況だったことを考えると、ありがたく思っています。

     ふり返ってみますと、この度の飛行機延着による緊急事態の第一報に直面した私は先着した2名とホテルの一室で、皆の無事を喜びつつも「果たしてショーまでに来られるのだろうか?」という不安を無理矢理押し込めるのに精一杯でした。しかし「みんなは必ず来られる」と自分自身に言い聞かせ、ひたすらショーが滞りなく達成出来ることのみに専念し、皆が到着するまでに、「たとえ自分1人でも何としても全ての準備を整える」という覚悟を決めたものです。

      ホテル、現場、当地旅行社、残留組、と全ての対外交渉を青木タローに、お手伝い一切をを石出さんに頼み、一方ランジス花市場の買人資格はバンソン・レザール氏に依頼し、通訳を斉藤由美さんにお願いしで3名で何とか花材は購入できましたが、ほとんどの花が20本から50本単位で購入しなければならなくなり予定が大幅に狂ってしまいました。

      その上丸二日間ホテルの狭い一室で管理せざるを得なくなったこともあり思いのほか花材の痛みが激しく、補給の必要性、また生徒が希望していた花や色が全て揃わなかったため、再度斉藤さんに依頼してパリ市内の花屋を巡って東奔西走、悪いことに週末が重なり多くの花屋は休業、緊急だったためバスタクシーを多用して、後は無我夢中で全ての準備を整えました。

      もちろん、その合間をぬっての100個のプレゼント用アレンジメントも大作業でした。後発のスタッフに頼れなくなったため在仏の花屋(ベルチュム)勤務の西田けいこさん(夫君・新体道メンバー西田アキヒロ氏婦人)、平野美枝子(仏新体道ピエール氏婦人)さんに応援をたのみ、パッケージも含め何とか形を整えました。 タローさんにまで水切り棘取り石出さんには何から何までアシストしてもらい必死の準備作戦となりまなした。 皆の到着予定時間(あるいは本当に到着できるのか?)も解らない状況でパニックになりそうな自分の心を落ち着かせながらも、私達のベストを尽くしたと確信しています。  その間、適時スタッフが日本から!あるいはイギリスから!かけてくる電話の心強かったこと。「みんな無事だよ」「花グループは落ち着いているよ」「スタッフの花は何でもいいからね」、そんな言葉にどれだけ励まされたことでしょう。さすが私の生徒達!と誇らしくさえ思ったものです。  ショーの当日は、朝からこれも新体道の白戸さんが応援にかけつけてくれ火事場の助っ人とばかり、本職のヘアーメイクは勿論、幕引き、照明、カメラ助手など、本当に大助かりでした、 イギリス新体道合宿からも駆けつけてくれたニコル、不学さんには、ビデオ、みえこさんには受付、ラファエルさんにはスーツを着てもらい、ショーのステージの階段のエスコート役をお願いいたしました。  <P> 律彩子のシャンソンが始まって、1階席は、前方に空席があるものの、後半席はだいたい埋まっており後ろでは立っている人補助席もちらほら、私は2回のバルコニー席に行ってみました、一つの空席も無くぎっしり、思わずすごい!とおもいました。3階バルコニーも一杯であったそうです。 振り袖の着付けをする人、お化粧直しをする人、ウオーキングをするひと、ブーケを熱気ある楽屋から室外に出してケアーするひと・・・・<P>  そして幕開け、本番、1人1人の熱演 ブーケショー終了後フランスのフラワーデザイナーの楽屋訪問、日本の著名フラワーデザイナーの訪問などもうけ、 会場にはフランス人新体道の皆さんが30名ぐらいもきて下さいました。これってすごいことですよね、  <P> 「2000」の山形羽黒で会ったり、南フランスで会った懐かしい顔にも出会いました。おかげでショー終了後のラヌラグ劇場のロビーは、新体道のメンバーで一杯になり大賑わいとなりました。 本当に新体道の皆さんのお力添えに感激しあらためて感謝をすると共に、成功を実感いたしました。<P> 振り返ってみますと多々反省点、失敗点などあげられますが、結果論でその現場にあってはやむを得なかったと思っています。また今後に大いに役にててたいとおもっています。<P>  この度のブーケショーの事は当スタジオに延々と語り継がれられる出来事になることと思います。不測の事態をモノともせず成田・ロンドン・パリを股にかけ、大成功に向かって突き進んだ参加者の皆さん、また特別出演して下さった、新体道の中谷さん、小寺さん、藤井さん、前原さん、淑恵さん、そして石出さん、タローさんそして応援して下さったフランス新体道の皆さん、そしてスタッフ全員の輝かしい軌跡です。

    今後このショーのことを語るときは皆さん是非胸を張って語って頂きたいと思います。

     皆さん本当にありがとう御座いました。私もこのツアーを皆と一緒に過ごせたことを誇りに思って一生忘れないこととおもいます。ありがとうございました。<P>11月28日(木)青木悦子


  • 2002年9月11日13時33分

    9月11日(水)「プロとなった卒業生からのメール」

    この夏わたしのスタジオの卒業生達からたくさんのメールをもらいました。

    その中から安田朋美さんのメールをご本人の了承を得ましたので皆さんに是非ご紹介したいとおもいます。

     安田さんは、航空会社に勤務する傍らフラワーデザインのレッスンを修得し、ついに退職し難関中の難関を突破、日比谷花壇に就職、現在銀座帝国ホテルに勤務し1年5ヶ月となります。

    このメールは花を学ぶ者にとって、またプロを志す者にとって名実共に日本のトップ級といえる現場の花の業界を知る貴重なメッセージでとして、またたくさんの示唆に充ちていると考え個人的な部分もありますが以下公開させてもらいました。

    同じ道を志す後輩へのエールをこめて、

    ・・・・・・・・・「安田朋美さんのメール」・・・・・・・・・・・

       随分ご無沙汰してしまい、失礼いたしました。

    安田 朋美です。

    毎回、興味深いお誘いのお知らせを、ありがとうございます!いつも、楽しくワクワク拝見させて いただきながら、日程と予算の?!都合がつかず、参加できず、残念に思っています。

    今度のヨーロッパツアー いよいよ実現ですね!青木教室の盛り上がった雰囲気が、そして 悦子先生が一番ハッスルしてにこにこされているお姿が・・・想像に容易いです。

    日程表を 眺めているだけで、なんとも ワクワクする ものすごいイベントだと感じますし、なにしろ、自分の母校が、こういうことを開催できることが、すごい誇りです。ほんとうに・・・

    私の参加は、やはり クリスマス商戦のど真ん中であり、予算的にも今の私には無理のようです。気持ちだけは、完全参加なんですが・・・!!準備から、旅行の終了までが、無事にゆくことを、心からお祈りしています!

    私が 青木教室を卒業してから、まだ1年4ヶ月・・・とても そんな短い時間には思えぬほど、長い長い時間が流れたように 感じます。それほど、内容が濃い充実した日々かと言えば、うなずくことは 難しく、逆に泣かなかった日を数えられるのでは と 思うほど 苦悩の長い時間でした。

    卒業試験の後、青木先生に 「娘を嫁に出す気分・・・」と、沢山のアドバイスと嬉しい応援のお言葉を頂き、花の業界に送り出して頂いたことが 遥か昔のことに感じられます。そして、昨年暮れの頃までの記憶が ほとんどないのです。

    今年の5月の母の日の準備の頃も、「去年は どうだった?」と聞かれ、お店の様子も自分の状況も 全く記憶がないのです。変な話ですが、人間はうまくできていると思いました。あまりの苦悩は 覚えていられないように、なっているんですね。だから、”過ぎ去れば、良い思い出ばかり・・・”という言葉が生まれるんですね!

    なにが辛かったのかは よく分かりません。以前 お話した”ジャイコさん”の存在は、ほんの一例に過ぎなかったように思いますし、自分のことも含め全てが 逆回りしてしまう そんな時期だったのかも 知れません。漠然とした不安の塊もありましたし。

    悶々としたまま、年を越え・・・(帝国ホテルは 年末年始に お正月プランでお泊りの方の多くの内容にルーム花も含まれており その数 ざっと700件近く。制作は とても間に合わないので、委託するのですが、その納品だけでも すごいことになります。また ホテルとの部屋番号と 納品時間の細かい調整窓口担当なんぞ 経験のない私が やらされ・・・気がおかしくなるかと 思いました。)

    春になる頃、やっと 周囲の花の開花に気付き、鳥の声が 耳に入るようになりました。以前から、苦しんでいる私を見ながら「何か 可能性が あるかも・・・」と 期待をかけて下さっていた帝国店の店長が、その頃から 実際にチャンスを下さるように なり・・・

    一番嬉しかったのは、迎賓館に 行けたことでしょうか。3月、4月と 国賓が迎賓館にお泊りになり、その運営担当が ちょうど 帝国ホテルであった為、その中の花部門として日比谷花壇が 入りました。通常、年1度の抽選での一般見学が やっとの敷居が高いあの空間に、身分証明書を ぶら下げ、裏方として 堂々と入れたことは、後々の大切な思い出と経験の財産になると 思いました。この辺りから 横柄な態度の目立ったホテルのスタッフの方々とも、連携がとれるようになり、通常業務にも 役立つように なり・・・。

    日常業務は、相変わらず 時間に追われる 残業の多い日々で、夏で売上は極端に下がるものの、人件費削減のためか 最小構成人数に 満たない人員で毎日 綱渡り。また、ホテルとの連動である為、この季節も多忙です。(いまどき 通常VIPに花を入れるホテルは ないんですが・・・)。

    また、ファンシー担当として、生花以外の飾り物などの発注担当のヘッドなどを やらされ、最初は 「??」でしたが、今は 適当な勘を頼りに発注をしています。春には、クリスマス商品の展示場に行き、買い付けを行ったりと「いいの?私で・・・」と、思いつつ、大変ですが、帝国店の名を借りつつ、貴重な経験を させてもらっています。やっと そう 感じるように なりました。

    その他では、先日、日比谷花壇のお得意様が 帝国にお泊りになり、そのルーム花をワインとセットで・・・という 送り主は日比谷花壇社長というアレンジ制作を、「やってみなさい!」と、やらせてもらったり、少しずつ 冒険させてもらっています。

    また、入社後、ブーケの制作は一切やれていませんが、過去の経歴がものをいい、修行経験を!と、他店舗のブライダルフェアーの制作準備に応援に行かせてもらえ、横浜のパンパシと、東京全日空のホテルにブーケ制作に行ってきました。ヘルプ者ということもあり、大体 ラウンドや、ナチュラルか あとは 細かいワイヤーなどですが、指定花材と本数と形態は 決まっていますが、微経験で ポンと 渡されても困るところですが、ここは 青木教室で あらゆる花材で、身に付けた経験があるので落ち着いて 愉しんで 挿すことが 出来、今までのところ 訂正も ありません。ほっ!せっかくですので、昨日 全日空に行った際、制作した 「果物を使ったグリーンブーケ」を こっそり 撮影したのを、添付します。

    毎日のあわただしさの中で、自分を見失い、一時は 花を見るだけで 吐き気がして、どうしようかと 思いましたが、こうやって 振り返ってみれば、一つ 修行のトンネルを くぐってきたのだなと、自分のことながら、あらためて そう感じます。

    先日の桃子先生のお言葉にも、ありましたが、この夏の暑い盛り・・・日傘と帽子にサングラス、帰りは 両手に花・・・と なんとも 滑稽な姿で日ノ出町駅を うろうろしていたことを 懐かしく 思い出します。

    でも、あの頃からの先生方の優しいご指導とご理解が あったからこそ今が あるのだと、本当に 思います。大事な集中した楽しい時間でした。これから先も、どうするのか 沢山の迷いは ありますが、常に 後悔だけはないように 過ごしてみようと 思っています。

    また、近況を お知らせしたいと 思います。同じ業界・・・分かっていただけるかと甘え、ずいぶん長い文章になってしまい失礼いたしました。

    最後になりましたが、先生方、皆様・・・猛暑の季節・・・どうか ご自愛くださいませ!!そして 晴れの舞台 秋に向け 益々の御健闘をお祈りいたします。

          2002 summer             やすだ ともみ

    「第2便」

    先生!!連日の猛暑の中、お元気そうで なによりです!お忙しい中、親心たっぷりのお返事を ありがとうございました!私にとって、なによりの応援歌になります。

    先生のお言葉の通り、花の業界に入ってからは、毎日の忙しさに流され、また それを理由に 自分磨きを すっかり忘れておりました。物を生み出す人は、なにより 感性を磨いて 沢山の刺激を受けておかなくてはならないと 思っては いるのですが・・・。ここ1〜2年、体力が極端になくなりすぐに バテてしまい、そんな自分に困ってしまいますが・・・少しずつでも、自分なりのリズムで、外に 目を、心を向けてゆきたいです!

    桃子先生、しんり先生も、いつも お忙しい中、お便りに一筆を加えていただき、ありがとうございます! へとへとで帰宅した時に、ポストに 暖かいメッセージを見つけると、それだけで ふっと 気持ちが明るくなります。とっても 嬉しいです!!

    先生方と、レッスンの合間に いろいろお話させて頂いたこと、時々 ふっと思い出します。お子様方も ますます 大きくなられたことでしょう!数年前に、私が スタジオに一緒に通い始めた 旧姓 清水智子さんのお子さんも 早くも2歳になり、ますますパワーアップ中です。先日「先生方は まだ私のこと、覚えてらっしゃるかな?」と、心配していました。いつか また 一緒に行けたらな〜と 思っております。

    また、悦子先生の追伸の件、あのような内容で もし お役に立てるのでしたら喜んで・・・特に 同じように、仕事を辞めて、本気で 進もうと思っていらっしゃる方には少しは、参考に なれるかも しれませんね。

    一言 追加で 添えさせて頂けるなら、あれほどの苦悩は 経験致しましたがそれでも 前職を辞めたこと、花の業界に進んだことに 後悔は ありません。そして 日比谷花壇の 一番多忙かと言われる 帝国店に なぜ・・・採用されたのかも、いつか きっと 意味のある ことだったと、実感できる日が来ると 信じています。

     明日は、また 公賓が宿泊で、大忙しとなりそうです。繁忙を考えると、メゲテしまいそうですが、自分の為に 頑張ってきます!

     また メールさせて いただきます。 時間が出来たら、是非 教室に遊びに行かせてくださいね!!

                            やすだ ともみ


  • 2002年7月28日18時13分

    7月28日(日) 長いことこの独り言お休みしてしました。OBの会員から、身体でも悪いのですか等とお手紙頂き、恐縮しています。パソコンが壊れて、修理したり、新しいものに変えてから、慣れずについついリズムが崩れてしまい又行事に追われたりして、ブツブツと独り言もつぶやけぬままになってしましました。暑さに負けず又元気で再スタート!! <P>早速お知らせです、「パリ・ブーケショー」<P>リニューアルして再出発、11月16日〜21日(土・日・月・火・水・木)です、パンフレット・他くわしくは、スタジオまで、<P> 今回とても良かったことは、  昨年12月と6月の2回の来日とあわせ、「デモと講習」をしていただいた皆さん もうすっかりお馴染みのフランスのバンソン氏と斉藤由美さんが今回のツアーにあたって個人で購入できなかった花に関して、ランジス花市場の仕入れに案内していただけることとなり、最大の難関である花揃えに万全の準備が出来ることになり大変心強くなったことです。<P> その他、パリ市内観光は勿論のこと、パリ有名フラワーショップ、ランジスの花材市場見学をいたします。<P> また、希望者には、パリ現役フローリストの「デモ&レッスン」、「フランス料理のデナー」「リドの華麗なショー」など夜の楽しい企画も準備しています。<P>  ご家族、友人などお誘い下さって1人でも多くの参加をお待ちしていますね。 


  • 2002年3月17日22時32分

    「気分転換の味噌仕込」  昨年ほんの気まぐれでトンチンカンに作った1kgの大豆の味噌が、2〜3倍に膨れ上がって、結構美味しい麹味噌が出来上がって引っ張りだこ。 この貴重品に味をしめて、今年は早くから倍増し4kgの大豆と同量の麹、塩を確保していたのである。

     味噌は寒いうちに仕込むということを聞いていたので気になりつつも、手を着けられずにいたものを思い切って断行。

    まずい!この日はちょうど3人の孫たちを1日中預かる日、おまけに遅れていた主人の誕生祝いも行う日、でも今週をはずしてはもうチャンスはない、と少々無理は承知で浸しておいた大豆を圧力釜にかけて思い切って火をつけた。同時にガスや電気釜にも火をつけて時間差で繰り返し煮込むこと6〜7回、台所中蒸気が立ち上って気分も上々に盛り上がった。 

    が、なんと昨年調子よかったはずのミキサーが空回り、思うように作動できず何回も失敗・・・止むおえず全てビニール袋に入れすりこぎ棒と手で潰すことになってしまった、よいしょ!よいしょ!よいしょ! 足手まといと思っていた孫たちが大喜びでに作業に我先に参加、台所はおろか家中麹と塩と豆粒だらけになって、ワイワイと大小さまざまな味噌玉が山のように出来上がった。 

     物わかりのいい亭主の了解を得て、誕生パーテイは出前寿司と缶ビールで手抜き「カンパーイ!!」 お誕生ケーキと賑やかな孫たちのヽ(^・^;)ノハッピーバースデイ じーじー (^o^)の大合唱でなんとかクリアー、

     孫たちが両親に連れられて首尾良く帰ってから再度作業を続行、味噌玉を家で一番大きな器に仕込んで焼酎で消毒し塩の重りをのせて密閉する、

    それにしても今年も気になる反省てんがひとつ、ガスで煮た方の煮汁を使い、圧力鍋で煮た分を色が濁っていたので汚いと思って捨ててしまった点である。反対の方が美味しかったのではないかと悔やめることしきりである。 その分この味噌せめて1〜2年は寝かしたい、 来年は腕を上げ、遠くない日に我が家の手前味噌の味をお披露目したいものである。

      かろうじて後かたづけがが終わったのは深夜も深々としたころ、明日は早朝より花の仕入れ、念願の味噌仕込が終わった達成感と疲労感で爆睡した休日でした。(これは2月24日に記したものです)


  • 2002年3月17日1時42分

    「気がつけば春」

    2月のブーケショーが終わって、何カ月ぶりかの日常生活が戻ってきました。

    きのう気がつけば玄関脇の沈丁花が薄ピンク色の花を咲かせて甘い香りをただよわせ、裏庭の梅の花もすっかり散っていました。

     もう春なのだ、11月のパリから12月のバルソン・レザール氏の来日デモ・講習、クリスマス、お正月、そして先日の36回修了式&ブーケショーとほとんど息つく暇もなく、この冬は寒さも感じる余裕はなく、気がつけばもう春でした。冬を一足飛びに飛び越えてしまったよな一冬でした。

               ・・・・・・・・・・・                     この9日には久しぶりに「フラワーイン神奈川」の花博の初日を見に行ってきました。 

     会場はスタジオからは目と鼻の先のみなと未来21のパシフィコの国際展示場。

    会場いっぱいの花ばなに迎えられて童心に帰ったように ただ花の中をふらふらと漂う気持ちの安らかさを満喫しました。

    何の準備もなく花園に、ふらりと舞い降りるだけのこの素晴らしきすっぴんの身軽さをかみしめながら、、、、、 

                 さあこれから沢山の催し物がつぎつぎに開かれる春の催しのシーズン、今年は出来る限り出かけて花との出合いとプラスαを求めてエンジョイしたいと思っています。


  • 2002年2月16日0時1分

     2002年2月10日  36回修了式&着装発表会が無事に終了してほっとした日々を堪能しています。この場をかりて当日の挨拶をほぼ全文記載いたします。

      -前略-

     新年のご挨拶にも、触れさせていただきましたが、昨年は世界的に激動の年でしたが、スタジオにとってもその影響を受けて衝撃の年となりました。 11月にはパリでブーケショー公演を予定しておりましたがテロ事件の影響でやむなく中止となってしまいました。

        初めての海外公演ともあって不慣れな海外企画の実現のため私たちは全力をあげて準備をし、35名の参加者を募り共にもう一息というところまできたときにあの事件となってしまいました。

       なんともいえない残念さと、再びブーケショーが再開されるのであろうかという不安も重なり、今度ばかりはこの戦争の行方を見守り、日々注目してきました。

       それから5ヶ月、報復戦争は、超大国が束になって小国を最新兵器で総攻撃して国土を破壊し、何百万人もの難民を作り、今度は次の国にターゲットを向けようとしてる事実に空恐ろしさを感じています。

        そして常日頃唱えている、平和とか愛とか、希望と言う言葉が色あせて、力無く響き テレビで見る悲惨なを映像を見ても何もすることが出来ないでいる自分の無力さ、卑小さに苛まれてきたのは、私1人でしょうか 

       戦争や戦いの中では、一個人の力は無きも同様、まして外国にいる私たち特に女性は、この戦争という大きな問題にどのようにかかわっていったらよいのでしょうか。女性に何が出来るのでしょうか。小さなダンボールに救援物資を詰め込みながら自問自答を繰り返します。

      考えてみますと 私たち女性は「妊娠し出産」するという母性の特性から戦争や暴力や力に対しては無力で体質的にも適しておらず、ただ恐怖感と拒絶感を感じ、本能的に安定と平安を望む生きものだと思います。

      また、一方女性は、「育児」という、20年がかりの大事業を通じて   忍耐力と持久力を培い また我が子のあらゆる失敗や未熟さや欠点を丸 ごとを受け入れて、さらに希望を持って愛し続けることが出来るという即ち「寛容さと愛と希望」という人類最大のテーマを、日常の子育ての中で自然に体得し、平和的な資質と解決方法より多く備えているといえましょう。

           詩人 与謝野晶子は子供を10人も育てたといわれていますが、かつて「君死にたもうなかれ」と詩を通して愛する者の命をいとおしみ、戦争への悲しみを、たとえ国家や権力に対立しようとも、女性の真実の声を詩に託し反戦の詩を詠いました。

       また今回アメリカ・ウエスト・バージニア州・チャールストンのシソンビル高等学校で戦争中止を求めるTシャツを着て登校し停学処分を受けるという出来事がありましたが、これを不服とした訴えに対して裁判所も教育委員会もその停学処分を全面的に支持したという事件がありましたが、その訴えを起こした高校生は15才のケイテイ・シエラという少女でした。

        学校という組織の中でたった一人でも立ち上がった勇気ある人間が女子であったというこの例は「女性は戦争や暴力には弱いが、平和を求める気持ちは強い」ということを再認識させられました。

       特に母親になった女性はたとえ面子がつぶれ、不利益になっても自分の産んだ子供と夫の身の安全を願うもので、戦士だろうと民間あろうと、国家のためなら戦争で死んでも仕方がない、と言う母親は世界中に一人もいないと思います。

             ・・・・・・・・・・・・・・・ 戦争の連鎖をどこかで断ち切り、母親が自分の子供を戦いに渡さないようにするためには、幼児期から子供の心の教育からスタートする事が、最も根本的でかつ効果的であると思います。

        幼児教育の権威でもあるソニーの故井深大氏は子供の教育について、「0才からでは遅すぎる」といって胎教を挙げておりますが子供の心の平和教育もそのようにありたいものです。

         具体的には、現在少子化が進んでおりますが、子供には是非兄弟がたくさんあって欲しいと思います。    私にも3人姉妹の孫がいますが、子供は産まれた時から自己中心的な存在です。そうでなければ、生存出来ないからです。

     互いに自己主張や、物を奪い合ってよく喧嘩をします。 でも小さな争いをすることによって互いに肉体的な痛みや精神的苦痛を感覚で覚え、悔しさを我慢させたり、謝ることや、許すことを教え、また一つの物は2つ3つに分け合うという習慣を姉妹の間で身につけさせるように心がけています。

         子供が成長するまでに・自分の身体の痛みは同じように相手の痛みでもあり、自分の大切なものは同時に相手にとっても大切であることを教える、 

     すなわち相手の立場に立って物を考えるという「想像力」と「思いやり」を養い「与える喜び」と「受ける感謝」ということを繰り返し兄弟を相手に教育することが大切であると思います。

       これは植林にも似て気の遠い長い歳月を要するものですが、問題の解決を「力ではなく愛をもって」と言える未来の男の子や女の子の思想をしっかり教育しすることが、女性の最も大切な使命であり又社会的責任でもあると思います。

     ・・・・・万物の霊長である人間として納得のいく人作りこそ、・・・ これこそ女性が家庭の中でも、いつでも、どこでも、毎日、出来る直接的な平和行動といえないでしょか。  

                   私たち女性は、アフガニスタンの女性も、アメリカの女性も世界中の女性が必ずや平和を求めるという共通項を持っていることを疑いません。

       平和への植林が全人類の女性たちの手で一本ずつ植え付けられて地球規模にまで広がったとき世界平和への逆転が可能になると信じる者です。

              ・・・・・・・・・・・   「人は弱さや恐怖の後ろから勇気が生まれ、絶望の中でこそ希望を求めるものであることを知っています」 

             ・・・・・・・・・・・・・ 私は毎日、女性達と一緒に花に触れて暮らしていますが、この花の中に安らぎと平安が内在し花は平和の象徴であるとつくづくと感じさせられます。  花と女性の本質を重ね合わせて見つめながら、女性も花のように素晴らしい自然の一部となって、存在するだけで平和を彷彿とさせるような、また自分の身の回りから平和の輪を広げて行けるような生きかたが出来るようにと切に願いまして挨拶に代えさせていただきます。   後略  


  • 2002年1月7日3時17分

     新年あけましておめでとうございます。

    昨年は11月15日に予定して降りました「ブーケショー・パリ公演」がテロ事件の影響で やむなく延期となりました。事件以来心の痛む日々がつづいています。 今年ほど真に世界の平和を願う年はありません。

    (この部分がぬけてしましましたので追伸しました)


  • 2002年1月7日3時15分

     新年あけましておめでとうございます。気分転換と事後処理を兼ねて一人でパリに行ってきました。ぶらりたびのつもりが、劇場やホテルの下見、有名花店や花材市場の訪問と、次回の準備を整えてきたようなものでした。

     このときの直接交渉により、昨年12月22日「クリスチャン・トルチュ」のバンソン…レザール氏来日デモストレーション・講習会の企画、実現出来たことは思いがけぬ成果となりました。

     今年は2月10日に終了式とブーケショー、11月12日には再度パリでのブーケショーを予定しております。

     みなさまの一層のご支援ご協力を期待して新年のご挨拶とさせていただきます。          ・・・・・・・・・・・・・ 昨年暮れの27日パソコンの上に、こともあろうにちょこっとお茶をこぼして、愛用のパソコンが打てど、叩けど狂乱状態になってしまいました。

     万事窮するというか、「万事休する」ことになってしまいました。 年末年始はじっと我慢一筋!!新年になって新しいパソコンで心機一転またこの一年をがんばってゆきたいと、一回り小さくなってさらに賢くなった真っ白なノートパソコンに、慎重な態度で向き合っていまーす。

     はじめまして、よろしく、おてやわらかにお願いします、マイコンちゃん!!


  • 2001年12月23日3時33分

    斉藤由美さんのメールアドレスです。 SaitoParis@aol.com


  • 2001年12月23日3時25分

    パリ・デモ特別企画

    「バンソン・レサール氏によるデモストレーション&レッスン」は大盛況のうちに終了し明日23日にパリに帰国することになりました

     帰国にあたって、バンソン氏は今回のデモは参加した皆さんがとてもいい雰囲気で和気あいあいとした会場であったため緊張感もとれ、リラックスした気持ちで、自然体で制作出来たといっておられました。事実口笛など吹いて仕事してましたね。

     また出来上がった作品に皆さんの反応がたいへん良かったことや、熱心にいろいろはなしかけたり、質問したりして全体の雰囲気がが盛り上がったことをたいへん喜んでくださいました。

     来年の「パリ・ブーケショー」での渡仏の際1日講習などのお話をしていたら、それもいいけれど「みんなのブーケショーを是非見にいきたい」といって目を輝かせていました。

     それというのも皆さんの作品ををひとりひとり丁寧に見て廻ってくださった、コミニュケーションによる淡い師弟関係のようなものを感じましたよ。

      またレッスンでは何人もの人が「トレビアン!トレビアン!」と評価されていたことも嬉しかったですね。

     私は今回、通訳のデザイナーゆみ・斉藤さんを通して初めて知りあった外国の人々ともこんなにも素敵な人間関係が結べるということを経験し、フランスがまたまた近くなり、来年の「パリ・ブーケショー」への期待が膨らんできました。

     バンソン・レサールさん、ゆみ・斉藤さん「素敵な経験」をほんとうにありがとうございました。


  • 2001年12月20日2時40分

    「お誕生日の電話」

    今日は12月19日わたしの誕生日です。

     私のフラワースタジオを卒業して10年来の会員のS・Aさんは、毎年この日に私に電話をかけてくれて「お誕生日おめでとうございます」と云ってくれます。

     最近では自分の誕生日が近づくにつれて必ずこのS・Aさんのことを考えるようになってきました。

     今日はわたしが生花市場に行っている間にかかってきたので、こころ待ちにしていたのにとても残念でしたが毎年お互いに1年間の情報交換などして親交を深めています。

     彼女はいまは立派な創作フラワーの先生として励んでおられますが、相手のお誕生日に電話をかけているのはきっと私ひとりではないはず・・・

     私などかけなければならない電話も1日延ばしで不義理に甘んじている者、とてもトテモ出来ないことでただただ感服しています。

     卒業生とはいろいろな関わり合いをしてきていますが、1年に1本のこの「誕生日の電話」の威力は年賀状では及びもつかぬ絆を結んでくれていることに気づきます。

     その年賀状さえまだ1枚も書いてないことにに少なからずストレスを感じながら「お正月になってから書く事にしよう!!」などとまたまた1日延ばしを考えている64才の誕生日でした。


  • 2001年12月19日0時6分

     「22日のデモストレーションの準備も進んでいます」

     いよいよパリ直輸入・バンソン氏のデモストレーションの日まであと3日となりました。

     フランスからのレッスン用の花器も本日到着しました。

     トルチュのオリジナルデザインで今年の新色ワインレッドのワックス製でとても深い色・・・・どんなデザインになるのか楽しみです。

     花材もおおむね揃い、2〜3を除いてオーダー済み、

    pr期間が短くて心配していた参加者も会場をかえたり、それでもキャンセル待ちになるほどで超人気、あとは花材の到来とバンソン氏を待つばかりです。 よいクリスマスが迎えられそうです。


  • 2001年11月28日3時6分

    11月28日(水)

    「パリ直輸入フラワーアレンジメントレッスン」

     フランスからかえって2週間、ずいぶん独り言が書けなかった。

    というのも、パリで超一流のフローリスト・クリスチャン・トルチュのオデオンの店を訪ねた際に、トルチュのデザイナー・ユミ・斉藤さんとの幸運な出会いによって、同じくトルチュの新鋭デザイナー・「バンソン・レザール氏によるデモストレーションと講習会」というビックリ企画を我がスタジオで主催する事に話をまとめるため全神経を集中してきたためである。会員及び一般の方にもにも参加を呼びかけています。

     「パリ直輸入フラワーアレンジメントレッスン」

      パリの超人気花店で活躍中の新鋭デザイナー・バンソン・レザール氏が直接指導。

    パリの花使い、色合わせ、形、エスプリなど、じかに触れていただく、またとないチャンスです

     街の流行や、パリの花仕事など様々なエピソードも交えた通訳付き

     クリスチャン・トルチェ・オリジナル新作花器、今年の新色赤いキャンドル素材の花器使用してクリスマスを彩るフラワーアレンジメントをつくります。

    ///////////////////////////////////////////////////

      「講師のヴァンソン氏のプロフィール」

    東京にも支店がある「ミルフォイユ」パリで最大手と言われる「アンリ・ムーリエ」という有名店を経て、5年前から「クリスチャン・トルテュ」に勤務。

    ホテル・プラザアテネやレストラン・アルカザールなど超一流ホテルや有名レストランのほか、ジバンシーなどのブティックにも活け込みをしているフルーリスト。

    テーブルを彩る小品から、ロビーを飾る大作までこなすマルチな技能を持つ。「自然」を感じさせる作品の数々はクリスチャン・トルテュ氏からも絶賛されておりオーナーからの信頼も厚い。 また、シャイだがユーモアたっぷりの面があり、包み込むような静かな優しさをたたえた人柄です。    記 

    12月22日(土)9:00〜12:00 (費用その他詳細は追述)<P>問い合わせお申し込みはスタジオまたはメールで、先着順に締め切ります。


  • 2001年11月15日19時14分

     「フランス・パリに行ってきました」

      11月2日より昨日14日までパリに行ってきました。

    9月のテロ事件がなければ、本日15日にパリでブーケショーを開催していたはず、昨日・今日は早朝から花の仕入れ、ブーケ制作、衣裳合わせ、リハーサル等々といま頃は大熱気でフル回転していたかと思うと今日の静けさは、ちょっと不思議な気持ちです。

     スタジオも予定どうり昨日今日(水・木)は休み、スタッフも私と入れ替わりに今週は休日ということでとても心静かです。(金・16日から平常レッスン)

     パリでは劇場の延期と下見、お世話になった人々へのご挨拶、在仏日本人会、日本大使館、日本文化会館、ファッションショー、フランス一のランジスの花材市場の見学と仕入れ、有名フローリストやベストフラワーショップの見学、来年のツアー時のパリの一流デザイナーによる一日講習やプライベートレッスンの依頼、滞在ホテル下見、等々毎日忙しく飛び回っていた2週間でした。

     それに加えてフランス新体道の合宿参加と、主人青木天外の書家としての国際展のオープニングに代理参加・・・・・・緊張しながらもフランス新体道の人々の助けによって、充実した旅となりました。

     また、最終日の夜は在仏日本人で唯一人仏国最高技能職資格者、また各種コンクールで連続グランプリ取得者のアクセサリーデザイナー「いくお」の一森郁郎さんご自宅に、新体道の友人たちとデイナーに招かれ、フランス人画家、服飾デザイナー・ササキ氏アクセサリーデザイナー・けいこ氏などと芸術パリ談義、新体道談義など歓談し夜遅くまで楽しいひとときを過ごしました。

     帰り路はワインのほろ酔い気分にセーヌ川の冷たい夜風が肌に心地よく、いつまでもいつまでも歩きつづけました。枯れ葉を踏む音と美しい夜景にパリ最後の夜にひとしをの旅愁を感じました。

       今回パリに1人で出かけていった成果は、来年度のブーケショウが、今年行ったよりもはるかに馴染みよい結果になったであろうと確かに思える訪仏でした。

     日本と条件の違う処で同じ成果や結果を強引に求めることではなく、自分たちの立場でこのパリという条件でどこまで目的が果たされるのか、その最大公約数をもとめつつ、どのような調和がとれるか、またどのような意外性が生じるか、その辺を楽しむ余裕というものを教えられたように思います。

     パリの美術館で日本人のもてなす茶道のお茶席が全く順序位地にかかわれず、とまどいながらももてなされる一杯のお茶に心温まる思いをいただきました。 

      そして今回何よりも良かったことは、いままでよりもっとフランスが身近く、またフランスの友人がたくさん出来たことです。 この一年をかけてゆっくり、しっかり計画をねって、来年の「シャンソンとブーケショー」を進めて行きたいと願っています。 周囲の事情がゆるせば、劇場は2002年11月12日(火)を予約してあります。


  • 2001年10月15日23時14分

    「パリブーケショー」延期します。 とても残念な事ですが、今回のパリの「シャンソンとブーケショー」は、テロ事件による報復戦争の開始によってやむなく延期となりました。

     <P>チラシやチケットが完成し、宣伝なども色々な人にお願いしてすっかり準備の段階が終わって これからブーケのリハーサルというとき、とてもとても残念です。

      日本は少し過剰反応ではないかと思うほど、全国的に海外の観光的旅行が敬遠され次々と海外旅行が中止となっています。   私達は35名、生徒ひとりひとりが出演者なのでキャンセルは少なかったのですが、律先生の方は、高齢者が多く参加者は先生のシャンソンをきくのと観光が目的なので何もわざわざこの戦争下に家族の心配を押し切って行かなくても、と言うのが大半の理由でキャンセルがつづき、「延期」という結果になりました。

     今回は律先生が何度もオーでションを受けて、シャンソンで契約していますので、私達は単独ではなにも出来ず、他の会場を探すには時間がありませんでした。

     反対されながらもいくつもりで楽しみにしていた生徒の皆さには申し訳なく思っています。また、なかにはホットした人もいたかもしれませんね。

     ラヌラグ劇場の方は、延期というこことで、キャンセルはしていませんので情勢が落ち着いたらもう一度企画を練り直してさらによいものにしてゆきたいと思っています。

    これからは、来年2月10日の終了パーテイの国内ブーケショーにふりかえて、少し早めのスタートをきることにします。

    パリ参加以外の人の参加も広く募集します。

    これから感謝祭、クリスマス、お正月と楽しいレッスンがいっぱいです。 


  • 2001年10月9日0時0分

    10月7日(日) 「テロとの戦い」 このたびの同時多発テロ事件と、報復戦争は、世界中に様々な同時経済不況と言う影響を及ぼし始めています。

     次々に倒産や窮地に追い込まれているニューヨークの商店街、航空会社や保険会社、旅行、観光業者社等々数え上げればきりがありませんね。

     ふと見ればその波紋がすぐ自分の足下にまでひたひたと押し寄せていることに驚きます。

     私達のパリブーケショーについても、キャンセルがあいつぎました。 その大部分が自分の考えではなく、家族に不安を与えて何もこの時期にわざわざ行かなくても、と言う家族や周りの人々の反対によるものです。

     私は勿論そのような考えをもつことは充分考えられますし、よくよく理解することが出来ます。決して反対するものではありません。

     この事件に偶然自分たちの海外企画がが直面することになって、自分はリーダーとしてこの問題にどのような指針をもって取り組むべきか、という判断を迫られます。 私は専門的な事情や情報についてはよく分かりませんがまず第一にテロの原因はなにか、その標的、目標を冷静に判断することが大切だとおもいました。

     今回のテロの明確なターゲットは、アメリカとアメリカ人、アメリカという国の外交政治、軍事、経済、宗教、アメリカ航空等にまず向けられていること。

     従ってこのテロが世界中の国と人を無差別に標的にしているのではない、と言うことをよくよく知るべきではないでしょうか。 

     またアフガニスタンへは日本が最大のの援助国であり、友好国であるとうことも大切な情報です。

      テロが起きたからと言って根拠の希薄な風評にいち早く過剰反応して、自分の生活に重ねあわせ、誰も彼もが右往左往して、予定をキャンセルして身を縮めて怖れる必要があるでしょうか。

     また予定を変更して海外にでず、日本の国の中に居さえすれば安全で良いことなのでしょうか。 いま世界の国や人人がテロと戦おうとしています。その方法は武力によるものだけでしょうか。  私達に出来るテロとの戦いは、テロから受けた打撃を最低限に押さえること、テロの狙う政治経済の混乱や人心の 不安や怖れを勇気を持って乗り越えて、人類が争いを武力ではなく平和的に解決する叡智を信じて行動すること。 そして相手の立場にも立ち、分かち合いの心をもつこと、それを声に出して発言すること等がこの問題の解決への日々の戦いといえるのではないでしょうか。

     何事にも攪乱されないで、逃げないで、不安や怖れを乗り越えいつものように平常心で生活し、また自分の考えや意見の意思表示を続けることがテロや、報復戦争へのの毅然とした姿勢であり、自らの存在との戦いともなることでしょう。

     このことがこの時代と事件を真摯な態度で受け止め生きた証になるのではないでしょうか。   


  • 2001年9月22日23時59分

    「ニューヨーク・飛行機激突事件に思う」

     アメリカ・ニューヨークーの飛行機激突事件は毎日さまざまなことを考えさせられています。

    こんな時の自分の考えは? こちら側の考え方は・・・・、あちら側の言い分は・・・・

     このままの大きな流れに放置しておいて良いのだろうか?

     なにか人間らしい優れた知恵はないのであろうか?

     世界中の知識人は、良識人は仲裁にはいることは出来ないのだろうか?

     又、大規模の殺戮が始まろうとしているのであろうか。

     今私は人間として心が痛みます。

     考えてみれば人間を滅ぼす悲劇は爆弾だけではない。

    エイズ事件も、地球のオゾン層破壊も、海洋汚染も、狂牛病の地球蔓延も・・・・

     生命の存在の恐怖はいまや国境を越えて地球規模になってしまった。

     地球人はいまや一体となったのである。地球は海も空も食料も同じ恐怖の前に一つの同じ生命共同体なのである。 人間と人間が戦うのはもう時代遅れであり、人類は国境を越えて一致団結して、この見えざる最強の敵と戦うことが、現在の急務である。

      特に為政者の責任は重大である。

     先進国で禁止された死の食料や飼料などを、途上国や、貧しい国に密かに輸出し、輸入する者は、経済の「テロ行為」にひとしいもので私達市民の絶望感は計り知れないものである。

      これらの根源が自分だけ良ければ良いという自分本位、自国本位のエゴイズムと、飽くなき欲望と傲慢さに病原巣があるとすれば、戦いは外に向かうばかりでなく、人間はまず自らの内側に目を向け挑むべきではないであろうか。

     毎日ニュースを聞いて、行く先を案じつつも、やはり自分の日々の仕事に邁進するばかりの毎日です。


  • 2001年9月19日12時6分

    律彩子のシャンソン

    青木悦子のフラワー・ブーケ・ショー

             11月15日(木)12:30〜14:30(予定) THEATRE LE RANELAGH 5,rue des Vignes 75016 Paris

    [ ごあいさつ  ],.  この度シャンソン歌手律彩子さんの25周年記念リサイタル公演に併せて、青木フラワースタジオによるブーケショーを催すことになりました。 

       デザインを学ぶ者にも、指導する者にも芸術の香り高い国フランス・パリはまさに憧れの国、この美的感性の豊かな国での公演をとても誇りに思っています。

      青木悦子フラワースタジオは1965年より横浜でフラワーデザインスタジオを開設し36年間、洋風・和風両デザインのレッスンを続けております。

      ヨーロッパ発祥のフラワーデザインは、千年以上の伝統を持つ日本の活け花文化と融和し、今や世界の国境を越え、形を越えて自由な創作の世界を創りだし、それぞれの感性や美意識に基づく願いや主張の表現手段としてその領域を拡げようとしています このように多岐にわたるアートとしての花の出現は,一方,私達を本来の花の本質や、花から何を学ぶかという原点にたちかえらせます。

       花の種類はおびただしく、それらの個性は見事に異なり、美しさも一つとっても同じ物はありません。薔薇が櫻より自分の方が優れていると言って櫻の存在を否定することは出来ません。一つの花が他の花より優れているとか、他の花が劣っているいうことはなく、それぞれの花が皆独特の美的宇宙をもっています。さまざまの花の存在がかえってお互いを引き立て、デザインの調和と美しさを創りだします。 

     花は語りかけています・・・・・・・

      花のように優しく美しくなりなさい! 花のように純粋な素直な心になりなさい! 

      花のように個性に徹し自己になりきりなさい!

      そして花のように互いに活かし合って、”調和と美”の世界を創り出しなさい!・・・・・・・・・・・・・・・・・。 

       出演者はみな定職を持っているごく一般の日本女性20数名です。この日のためにウエデイング・ブーケなど一生懸命レッスンを重ね、自作自演で精一杯の公演をいたします。 たとえ言葉は通じなくても花と音楽は世界の合い言葉、互いに目と目を合わせ微笑みを交わす公演の場は、私たち女性の国際親善への願いの場、平和への祈りの場ともいえます。

      世界を歌と花の輪に!!  みなさまのご来場を心からお待ちいたしております。

                             フラワーデザイナー   青木悦子

                   # なお会場ではショーでお見せしたブーケの中から数点を抽選にてプレゼントいたします。

    プログラム

              11:30〜    オープン・カフェ開場            12:30 〜       開演            14:30         終演(予定)         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  • 2001年9月8日0時46分

      劇場が決まりました。

         TEATRE LE RANELAGH

    5;reu des Vignes

    75016 Paris

    Tel; (1)42 88 64 44

    Fax;(1) 42 30 81 19  

              エッフェル塔近、住宅街、地下鉄 La Muette 下車(日本人街近)

                      昨日シャンソンの律先生が帰国、早速旅行社と3者で本日打ち合わせしました。

     338席、2階バルコニーを使わなくても280席、100年の伝統がある劇場でフランス   革命の時焼失し同じに再建したものだそうで、写真に寄れば外見より内部は素晴らしいものでそた。

     NHKのフランス語講座のテキストにも写真が載っていました。 「当日のスケジュール」 

            11月15日(木)

           9;00〜11;00    リハーサル

          11;00オープンカフェ・開場

          12;00〜12;30  開演

          14;30〜15;00  終演(予定)

    15;30          終了

      

      青木宏之の書は入選で、「ル・サロン」Salon des Artisites Francaos]11月2〜1(日)

    [パリ・国際サロン」Salon intematio

    nal de Paris]11月5〜12(月)

     合同なのでどちらかに出品されることになっています。確認中です。

     


  • 2001年9月4日10時41分

      「地球交響曲 ガイア・シンホニー」

    9月1日の土曜日は午後のレッスンを任せて青山の草月会館でおこなわれた龍村仁監督の自主映画「地球交響曲第4部」の試写会に行ってきました。

     主人・新体道創始者青木宏之が招待を受けたものでしたが予定が入っていたのでわたしが代わり?に見にゆかせてもらったものです。

     試写会というだけあって会場には花が華やかに並び皇族の御起立からテレビでお馴染みの評論家の顔なども見え、監督の挨拶と、2名の出演者もステージに立たれ、記者会見などももたれました。

     映画の内容は4人のドキュメンタリーで、生物物理学者(ジェームス・ラブロック氏)、チンパージー研究家(ジェーン・グドール氏)、サーファー(ジェリー・ロぺス氏)版画家(名嘉睦稔氏)がそれぞれの専門の立場からの究極の魂の体験を通して共に奏でるシンホニーをもって、21世紀に生まれ育つ子ども達のために、伝え残したいものをテーマとしたものでした。        つづく


  • 2001年8月31日0時58分

    [水泳を楽しむ]1年間休んでしまった水泳をこの8月からまた開始しました。

     8月で休みが多かったせいもあってこの1ヶ月は7回もプールに行ってしまいました。 というのもこのスポーツジムはスタジオの目の前にあるみなと未来21のランドマークプラザにあるのでちょっとした空き時間に出かけることができるのでとても近くて便利なのです。

     このランドマークがオープンしたこともあって、何十年ぶりかに水泳を始めたのでした。 その前はクロールは出来ませんでしたが最近は楽しく泳げるようになり500m〜1000mを休み休み泳いで帰ってきます。

     心臓をわるくしてからはスピードとか距離など考えず、ゆっくりゆっくり水中に浮かんでいるときの脱力感を楽しんでいます。 じつは水泳が持病の喘息にもよいと聞いて健康とリラックスした気分転換と1石2鳥も3鳥もねらっているのですが。

     9月になるとパリ公演の準備も始まって又忙しくなりそう、でも何とか月2〜3回は通いたいと思っているのですが・・・・・・・・


  • 2001年8月20日12時41分

    「メロンの花」

     「ゴミを出さない暮らし」を求めて我が家にはバイオによる生ゴミ処理機というのがあって 微生物とやらがみーんなナマゴミを食べ尽くしてしまい、数時間ですっかり生ゴミが消えてしまうという優れ者がいます。

      はじめに買うときには、高いと思いましたが、いまは生ゴミから解放されて、お金には換えられない快適さで、洗濯機、冷蔵庫に次ぐ必需品となっています。 もはや手放すことが出来ない、我が家のかけがえのないゴミ処理・ペット君になっています。

     ところがこのペット君、ある日突然動かなくなってしまい、修理に出すことになりました。

     さあたいへん!! またまた厄介な毎日のナマゴミ!! ビニール袋にいれて「ぽん!」とゴミに出すのは簡単だけど、環境破壊の原因にもになるのでまず自分から止めようと決心して止めた筈・・・・・・・

     そこで考えたのは、1m前後の家の周りの通路のような庭、ぐるっと一周すると4〜50mはありそう、でもその狭いところにいろいろな植物がひしめくように植えてあるのです。

     最近4〜5k実を付けるようになった梅の木、20〜30個はとれるミカン、ぼけ、あじさい、薔薇などをはじめとし、 シャクナゲ、カリフォルニア杉、二階まで大きくなったひめしゃらの木、こでまり、雪柳、沈丁げ、馬酔木、ソテツ、玉しだ、南天、アイビー、おかめ蔦、すずらん、ヒマラヤポピー ミョウガ あおじそ サンショウ アロエ、つつじ オモト ブライダルベール ハートかずら・・・数え上げれば30種類以上・・・・・・・・ よくもこんな石ころだらけの狭いところに沢山植えたもの・・  それというのも、家を建てるとき50〜60cmもの瓦礫の残土を積み上げて土台にしたのであったっけ。そんなわけで何処を掘っても大きな石や瓦がでてくるのです。

     それにもかかわらず最近は何処を掘ってもみみずさんに出くわすようになってきました。

      さて、わたしは木の植えてない隙間に数日毎に、小さなシャベルで穴を掘り石ころを取り出してはその穴に、生ゴミを埋めることにしたのです。

     生ゴミは土に返せば無とけて無くなるし、肥料にも成るので捨てるのはもったいないし、ゴミやさんの手を煩わせることもない、というわけです。

      そして、ただ磁石がはずれていただけという笑い話で無事帰ってきた生ゴミ処理機(へレット君)は毎日役不足のまま仮眠状態で数ヶ月間穴掘りを続けました。

     そんな真夏の暑いある日、ふと見ると裏庭の梅の木の下に何十本もの見たこともない植物が一塊りになってカイワレのお化けのような物がいっせいに40〜50cmも伸びて蔓を出し、おまけに黄色い花を節々につけて咲いていたのでした。

     「これって何?何?何の花?」

      あれ!埋めたゴミ後から出ている!

     埋めた生ゴミを連想すると、タネの出るゴミ、すいか?メロン?キュウリ?かぼちゃ?最近の胡瓜には大きいタネは無いから・・・・埋めた場所から察するとメロン、メロンに違いない、大事にし過ぎて少々熟してしまったメロンがあったけ、

     生ゴミの中から出てきたメロンの一群でした。

     神田生まれで土のないところで育った私は、この思いがけない対面にすっかり感激してしまいました。

     「そうか、種を植えれば芽が出るんだ!!」  気がつけばそこここの埋め後からまだまだいろいろな芽が伸びてきているではありませんか。

     今まで植え木や苗は買ってきても種を植えると云うことは、考えたことがありませんでした。 種から芽を出させるなんて専門家のすることで、私なんかに出来ることではないとすっかり思いこんでいたのです。

     あまりにも種が小さいので、種を信用するという実感が湧かなかったのかもしれません。 菜種だって、ゴマだって埋めれば出るんですよね。

     考えてみると「種」って不思議ですね。 「種」が芽を出す力は「種」自身が持っでいて、人間は、ただそのお手伝いするだけなのですから・・・。

     かく言う「人間」も同じ存在なのだと気づくとき、自分もメロンも同じように生きているという生き物としての一体感をかんじます。

     最近は植物にも感情のようなものが計測されたり、水の結晶にも感情が投影されていることを本で読んだりしましたが、  人間は動物や植物、水すらすべて生命ある物を食べて生生きているという厳粛な現実に向き合わされます。

     わたしは独り静かになって「計り知れない神の意図」を感じて身体の中が静まり、命のはかなさや偉大さ、又すべてに感謝と節度と分かち合いをもって生きてゆきたいと思いました。

     ・・・・・・・・・・

     それから数週間、我が家のメロンは二本に間引かれ数メートルにも伸びその節々に可愛い黄色い花をいっぱい咲かせてまだまだ伸びつづけているのでした。


  • 2001年8月1日11時47分

    「かすみ草とインモーテル」

     7月20〜22日の連休は、福島県の台鞍山スキー場での新体道夏休みキャンプ合宿に行って来ました。

     この夏のうだる暑さから逃れ、ひとときの涼を求めて主人と孫の明美ちゃん(5)と車で8時間かけてのドライブとなりました。

     参加者は40名ほど、私たちはキャンプ場のすぐ脇にある会員の吉田さんのログハウスに宿泊させていただくことになりました。、はじめてのログハウスでの宿泊、丸太の柱、檜の床、檜風呂のここちよさは、最高でした。

     日中やひあたりはなかなかの暑さですが、日陰はとっても涼しく、朝晩はひんやりするほど、山から木々の合間をぬって吹いてくる風がとても涼しいです。

     さてこの地元の(羽生、南郷)の人々の親切さは生まれてから都会育ちの私には考えられないほど心温まるものでした。

     聞くところによると、キャンプ用の手造りの机や椅子を提供してくれる人、稽古のためのグランドの草刈りをしてくれる人、バーベキュウのための野菜や冷たい漬け物、ビールや酒の差し入れ、キャンプファイヤーのための薪集めなどなど・・・・

      又地元のおばあちゃんが、キャンプ場に来てしんごろうもちの作り方を教えてくれ、30センチもある竹へらのさきにあひるの卵程の大きさの餅にゴマ味噌だれや醤油だれをつけて焼き、その香ばしい香りについもう一本と手が出てしまうほどでした。 5才の明美は、4本も食べたといって大人達をびっくりさせていました。

     また滝など見つけざんぶり入る人達もいて、私たちも主人やみんなと、子ども達を連れて大輝君、舞ちゃん、明美達と滝のある谷川のせせらぎにゆきました。 わたしも膝までつかりましたが刺すような冷たさに5秒と入って入れませんでした。熱いときほど温度差が大きく冷たく感じるもなのでしょう。 それでも子ども達はパンツ一つになって、キャーきゃー水かけっこ、岡田先生にだっこして貰い我先にと、ザンブザンブと肩まで浸けられて大はしゃぎしました。

     昼食に入った地元の蕎麦屋さんは、ゆく前に注文しておくと人数分、ソバをうってくれるとか、カボチャの煮つけ、豆腐のつけだし、トマトのデザート、精進揚げにそば、子ども達には「そばがき」などつくってもらい、どれもこれも最高に美味しいものでした。

     またこの蕎麦屋の家が指定文化財になっているとかで、 古い土蔵のいでたち、天井に鍋の底が見えたので不思議に思って尋ねてみると、なんと2階のこたつの底だったとか・・上下の暖房が兼ねられるのかしら、でも真下はちょっと怖いかな・・・・

     店の主人がこころゆるして2階を案内して見せてくれました。 急な階段を登ってゆくと、すすで何処もここも黒光り、どこか横浜三渓苑で保存されている飛騨の民家の家屋ヲ思い出しました。 とにかく古く歳月を感じさせられ、今も現実にこの家に住んでいるというのがすごいと思いました。

     又その屋根裏に干してあった白いドライになった花・よくみればインモーテルの花、私たちが日頃デザインによく使う花です。日本名を聞いてみましたが、女老主人は知らないとのことでした。

     ただきれいだから川原から取ってきたものといって、吊してあった3束ほど、みな新聞紙にくるんで私の手に差しだしました。「又秋になったら取っておくから」のことばには、まいった!!

     ああ 初めてあった人にこんな「おもいきり」できるなんて・・・

     白いインモーテルのドライフラワー、クリスマスには、見違えるようになって変身!!するでしょう。

     また、この土地は夜昼の温度差が大きくかすみ草が特産物の一つとか、わたしが花の仕事をしていることを知って、かすみ草の束を、一抱えもご自分で生産者のところに出かけ行っておみあげにくださったログハウスの隣のご夫婦。

     かすみ草の花をこんなにたくさん抱えたのは生まれて初めて、なんとも幸せな気持ちになりました。 

     ここには物質文明が忘れかけていた人と自然と物の原点が息づいていることに感動しました。 

    新体道の人達に合宿来会えた喜びと、また都心からかけ離れた山奥で暮らしている人々の気持ちのあり方が自分の記憶の中で、忘れかけていたものをまたまた呼び起こしてくれました。

     私の帰りの車のなかは、石清水から汲んできたポリバケツの清水、土にくるんだ青ジソの苗、取れたてのトマトや野菜、花ばなと、自然の恵みと、この土地のひとびとの暖かさを満載して満ち溢れた気持で帰路につきました。 


  • 2001年7月19日14時58分

    「国立劇場」と「パリ公演」

     15日(日)午前中の日曜レッスンのあと、大学時代の親友のお嬢さんが25年来稽古してきた日本舞踊の玉川流30周年・記念公演のお誘いをうけ、はじめての国立劇場にむかっった。

     勿論念入りにつくった和風ブーケを葉のすき込み和紙でラッピングしたハンドタイドブーケをたすさえて。

     花材は{ ゆり(オリエンタル)ばら(エステーラ・ノブレス・サンシルク)アストランチャー、イタリアンベリー、ブルーファンタジー、アイビー、たましだ(デイリー)ミスカンサス}リボンは和紙に合わせてライトグリーンとグランドメタルゴールドで)

     ブーケは楽屋に届けることになった。 さすがわ超一流の劇場とあって舞台は、大道具小道具、鳴り物、衣装ともども歌舞伎座役者のの出し物を観るようでした。

     とくに彼女の舞った「鷺娘」は衣装7変化の大舞台で、その華やかさは息をのむほど、会場から思わず大きな拍手が何度も何度も沸き上がったほどでした。

     他流の家元、宗家の特別出演や、弟子の真田広之の踊りもあって、とても楽しい日を過ごしました。

      この公演に行って私は一つのことに気づきました。

     それは紅白の30センチ四方もある立派なプログラムに30名ほどの出演者の写真とメッセージが載っていました。

     その中に入門1年未満、2〜3年未満でさらに年輩のかたが何人か載っていたのです。

     わたしは自分の目を疑ってしまいました。 わずか1年で国立劇場のこの大舞台が踏めるか・・・・ 

    もし私が日本舞踊を習うのであったら、こんな先生にならいたいと、つくづく思ってしまいました。

     この場合、指導者の資質とは、全身全霊を持ってすべての弟子に最高のチャンスを提供すること、そしてついてきてくれた人には徹底的な技術のレベルアップと、同時にそれにともなう心と精神の成長を支援する。

     先生と生徒が一致して一つの目的に向かったとき、共に自分の能力の最大限の力が発揮され、互いに目標達成の歓びをかみしめることが出来る。

     とくに指導者、先生は、生徒の成長と歓びのチャンスと場を提供し精神的支柱を支え、この努力を絶えず目指さなければならない。

     そして学ぶ側の者はこのチャンスを選択し決断をすることがその栄光へのスタートとなる。 というようなことを学びました。

     そんな意味で今回私のスタジオでおこなうフランスでのブーケショーは、デザイン界の大舞台・パリでの公演とあって、私にとっても、生徒さんにとってもまたとない成長の舞台となることは、まちがいありません。

     出演を迷っている方はこのチャンスを自分の手でつかみとりましょう。

     私たちもレッスンは全力投球でがんばります。実力アップと、パリでのショー出演は一生の得難い実績と思い出つくり、入会間もない方もOKですよ。


  • 2001年7月14日23時18分

    7月14日(土)「パリにてブーケショー公演決定 ! ! 11月13日〜18日」6日間

     かねてから懸案中であった、フランスでのブーケショー公演の夢のような企画がついに実現することになりました。

     パリの小劇場でシャンソン歌手・律彩子さんの25周年記念リサイタルにジョイントさせていただくと云うことで現在準備が進められています。

     近日中にも旅行案内パンフレットが出来上がるので楽しみにしていて下さいね。

     ブーケショーに出演するひと募集しています、また家族参加の優遇プランもありますのでみんなでパリに行きましょう。

     パスポートをお持ちでない方は準備を始めて下さい。持っていらっしゃる方は有効期限の確認をしておいて下さいね。

    では又。


  • 2001年7月2日0時52分

    「ニール・ドナルド・ヲルシュ師」

     昨日は日比谷公会堂で開かれた、ニール・ドナルド・ヲルシュ先生の講演会に行って来ました。

     このひとは、{神との対話」1,2,3,(サンマーク出版)の著者でアメリカ人、50万部のベストセラーで24カ国に翻訳されている著者で、過去6年神と直接会話をかわし、現在も刻々と会話し、人間のあらゆる問題、疑門不条理などを次々質問し、ことごとく分かりやすく回答を得、人間の生きる目的や生き方について、自分と神との関係、などを、今まで聞いたことのない新鮮な真理を語ってくれると云う人で、私もこの本は日々の魂の道しるべとして枕元に置いてあります。 

     この人にあって一番良かったことは、神を本当に見た人の「目」を見た、ということです。 優しくて、強くて、深くて、慈愛に溢れ、澄んでいて、畏敬に満ち、神の神性がこの人の「目」にすべて顕わされているように感じました。

     その感動の余韻が素晴らしくて、次の他の講演を聞く気になれず会場を出て、小雨の降る緑とバラの日比谷公園を歩きました。

     新しく買い求めた5冊目の著書「神との友情」を抱えて・・・・・


  • 2001年6月14日14時4分

    「花の激安店訪問記」 先頃花の激安店があると言う話をテレビや人の話で聞き仕入れを兼ねていってみることにしました。 3軒ほど訪ねてみた報告です。1)この店は町中のビルの二階小さな花屋であるが、ビルの窓に大きく目立つ文字で薔薇100本3980円とかいてあった。スタジオのすぐ近くでもあったのでこれは便利とばかり、4〜5回行ってみたが一度もその薔薇とやらを求めることは出来なかった。 週に3回午前中のみとか、しかも先着順で、花は咲ききったものか、親指の頭ほどの小さな固いものであったり、まるっきりなかったりでとても利用できるものではなかった。  花もほんのすこし並んでいるだけで店の中は造花がここかしこにおいてあり、見分ける必要があり、パンフレットは、カラー刷りでブーケや花束の安い料金が印刷されてあった。なんとも後味のわるい訪問であった。2) ここはH店、はなの値段はたしかに安い、物によっては市場ととんとんぐらい、スーパーのように並んでいるがただ種類はまったく少なくバラなどは、一本もないときもあって困ったこともある、あっても色は、2〜3種類ぐらいで目的の花がないことは、あたりまえというかんじである。 特に目的がなくそこにある花のなかでアレンジすることはできそうである。花屋もやっているので葉ものもほんの少量づつは置いてあるというところである。 はじめていったときははバラの来るのを2時間も待って結局間に合わなかったこともあって冷や汗をかいたこともあった。3)W店ここは3店なかでは値段、種類、量ともいちばんよかった。本当に市場よりも安いのではと思う物もあった。 ある物の中で選ぶのであれば充分に安い。  ただしここで問題なのは「ある物の中で」という大条件がつくのである。  質、色に関しては選択の余地がなく、特にバラは質(丈、茎、咲き)もわるく種類もなくあてがはづれて手が出なかったし、テストで使うカーネーションなどは扱っていなかった。 葉ものも新しいものはなく下半分が枯れていたり種類も前の店よりも少なかった。 したがって一つの店ですべての品が揃わないということになりました。 「激安店探訪後記」 いつも太田市場で花を仕入れているので知らず知らずに花を見抜く目が養われてきたのだなあと思いました。 太田市場では見たこともないような花に出会う新鮮な驚きと、どのように使うかという挑戦を挑まれます。 バラだけでも毎日50種類、カーネーションでも20種類、百合も何十種類、その他日本と世界中の花がこの太田市場には集まるのですからその情報量は無限です。  枝だもの葉ものも季節のものがすべてあつまるのですから、同じ種類のなかでどれををえらぶかが技なのです。 こんな大量の花の中からその日のレッスンにあわせて、安くて良いしな、お買い得品、珍しいもの、マッチした組合わせ、色合わせ・・・・・・・・ 自分の目で見て仕入れることが、いちばん大切、パーフェクトの仕入れができた日はとてもうれしいものですが、いつもいくつかの失敗や反省が残ります。 そう、仕入れには経験による「感と決断」の賭博性があるのです。 fax でオーダーし値段はつけられっぱなし(本番ブーケの時は除き)では花材費はパンクするし、又ごく少量の花の激安店の花の中からは、素敵なレッスンの花揃えはできないのです。  今回の結論として分かったことは、激安店というのは家庭の主婦やセミプロであまり花にこだわらない「安さ」を第一とする場合や人たちの利用するもので、一流のプロ意識の店やスタジオのいくところではないということです。  当たり前といえば当たり前の話です。 でも安いって聞くと行ってみようかな?って心が動揺しますよね、でもすべて裏があることをお忘れなく、という1件でした。


  • 2001年6月6日1時6分

    「オアシスなしでデザイン」 3日の日曜日、ひさしぶりにひとりで銀座へ出かけました。まみ・川崎フラワースクール作品展が銀座松屋で開かれているのを見にゆくためです。

     この作品展は、いろいろ学ぶところが多く毎年出来る限り見に行くことにしています。

     作品全体がテーマに沿った一貫性があり、大きな作品から小さな作品まで全体で一つを構成しているため、見ていて心が安らぎ知らず知らずに、テーマをたたきこまれ帰るころには納得して上機嫌で戻ってくるというパターンなのです。 

    今回は「花くばり」というテーマで環境問題からまた根元をどうしても隠さなければならないという、問題を含む「オアシス」を使わないというテクニックのあれこれがこれでもか、これでもかと提案されて、とても新鮮でした。 茎、葉、蔓、枝、花、野菜、フルーツ、木の実、炭、石、プラスチック、アルミ、テグス等々あらゆるものを、駆使して、花止めをつくっているものでアイデアに満ちたものでした。

     本来の日本の活け花のテクニックを思わせるものも沢山あり日本の活け花の優れた点も再認識したりしました。

     川崎景太先生にサインしていただいた本3冊ほどスタジオにありますので、興味のある方は見て下さいね。 そのうちレッスンにも反映したいと思っています。お楽しみに!


  • 2001年5月30日23時15分

    「初めての味噌造り」

     わたしは新体道メーリングリストにも入っていますが、最近こんなメールがはいりとても感動したので ご本人の了解を得て、そのメールの一部を載せさせていただきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・

    「春の大会が明日に迫りました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。私は、田舎に帰って農作業。去年の6月に親父が亡くなったので、親父がやり残した作業の後始末。

    一昨日(5/1)は、畑に植わっている柿の苗木を山に移植した。柿は根を張らないため枯れやすいので、うまく生き付くかどうか。昨日(5/2)は、去年の夏に脱穀した小麦を母屋の2階に広げて干したままだったので、それを「とうみ」にかけて整理。(本来、もっと早くやりたかったが、半年以上遅れてしまった。)今日(5/3)は、大豆を1日中煮て、その後、味噌の仕込み。(本来、もっと寒い時期にすべきものだが、昨日今日とおかげさまで寒い。)

    明日は、諸々の後片付けをやってから、東京に戻り、新体道春の大会に参加。夜には、ホテル「白砂」に着くでしょう。皆さん、よろしく。」

    黒岩郁夫

      ・・・・・・・・・・・・・・ このメール今時の若者が大切な休日に寸暇をおしんで帰省し家族としての関わりあいを充たしながら、うって帰っで稽古の世界にも精進している姿にとても感動しました。いろいろと想像して映画を見ているような物語性を感じました。

     さて問題はそのなかに、一日中大豆を煮込んで味噌を仕込んできた、という記事がありましたね。

     都会育ちのわたしその記事にとても刺激されて、人からいただいた大豆が1キロぐらいあったので、それで私も是非味噌をつくりたく思って何と早とちりで昨夜水に浸し今日の日曜日に煮てしまったのです。めったに家に落ち着いている日がないのでと、ちょっと焦りました。

    このあと どのようにしたら味噌が出来るでしょうか?と彼にメールをだしたり、あわてて料理の本などで探したり友人に電話したりしているのですが麹と塩を交ぜるということだけは分かっているのですが・・・・・・・

     泥縄って、このことですね、思い立ったら待てない、おっちょこちょいのわたしです。

     お嫁さんの淑恵さんからも味噌造りのホームページをたくさん送ってもらったりして、一夜明けて今日は、味噌造りに関しては、知識だけはちょっとしたものとなりましたよ。

     ただし、情報はすべて後手後手となってしまい、今年の我が家の味噌は、反省点の多いものどころか、ちゃんと出来るかさえ心配です。

     でも、味噌で死んだという話はきいとことありませんし、カビも捨て捨て昔は使ったものですし、味噌は混ぜて使いますのでそう心配はないと思いますよね。

      なにしろ、大豆を、ミキサーしてから、鶴見まで、予約の麹を取りににいったり、終了してから、焼酎を買いにゆき、後からかび止めをしたり・・・・・・ でも予備知識さえあれば、梅干し造りよりは、すこし簡単かな? 昨日のあわてぶりはどこえやら、来年こそは、とはりきっています。

     新体道の黒岩さんのおかげで味噌造りのきっかけをつくっていただき本当に感謝しています。ありがとうざいました。

     これから、すぐにもらっきょう漬け、梅干し漬けと、6月はまた我が家の一大行事?がやってきて楽しみです。


  • 2001年5月23日11時12分

    「トラウマがあるとは思っていなっかったけれど」

       今年のゴールデンウイークの新体道合宿は公私ともども忘れられない合宿になりました。

     講義もさることながら稽古に於いても、まだまだ頭の中で合宿が終了せず、余韻と虚脱状態のようなもので、ボーッとしている状態といえます・・・・・

       最終日、波の音を聴きながら砂浜での杉本圭子先生との新体道組手は、赤裸々に成りきった自分が身体をまったく意識しないで、ただ、砂浜にまみれ、潮騒をかすかに聴きながら、時が止まってしまったような・瞬・間・を感じ、満ち足りた感情が溢れ出て止まりませんでした。   それからずーと海を見ていて、海も生きている! 海にも命がある!  と、感じました。

      そしてふとこの九九里浜で生まれ育った私の父も同じこの海を見ていたのかなあーとひとつ思いになり、亡くなって37〜8年にもなる父を思い出しました、

     私の父というのは、外面は大変よい人間で頭もよく、人の面倒見もよく、困った人を助け、尊敬さえされている人でしたが、それらはすべて、女房と子どもを犠牲にして、いう条件の付く人で 飲む、打つ、の典型で、全てに自分が優先という人でした。

     ギャンブルは兜町に店を張るほど、博打、競馬は毎週、子どもたちが学校に持って行く、給食代や、クレヨン代も事欠くほど、当時は誰もが貧しかったけれど、決して納得のいく悲しさではなかったのです。

     今まで母親や家族を苦しめ続けたが故に私はこの64年間嫌悪感で意識的にも無意識的にも無視し続けるということで、自分の心の安定を保ってきました。 私が海や砂にとけ込み、身体も意識も自然に戻ったときに、いつのまにか身体の内の半分の血がどっと溢れてきました。 

     否定しても無視してもながれつづけるもう一つの血、

     そして今まで父に流した涙は、悲しさと悔しさ以外には一粒もなかったのに・・・・・

     私は父親のありのままをを許容し解容し、愛おしむ気持ちにさえなっていました。

      母の日を迎えるにあたって、

    「そろって、お父さん お母さん本当に ありがとうございまた。」という気持ちになりました。

     新体道合宿の実行委員やスタッフの皆々様、また身の回りをお世話下さった山下さん、沼田さん、大切な出来事、たくさんの思い出、本当にありがとうございました。                               


  • 2001年5月11日1時3分

    「自分史でも書こうかな」

     5月の連休は4・5・6・と新体道第40回国内大会が千葉県茂原の白砂海岸で行われそちらに行って来ました。

     この大会は殆ど毎年参加してきましたが、今回初めて講師を頼まれ、この一ヶ月ぐらい、原稿書きに殆どの空き時間をパソコンと向き合ってきました。

     なにしろ、毎年の修了式はせいぜい15分から20分位なのでほんの挨拶程度ですむけれど、これだけ時間を貰っては相当中身のある内容を盛らなければというプレッシャーもあって しかも途中で2度も原稿を飛ばしてしまって泣くの涙、の一ヶ月でした。

     私にとって、行動することは少しも大変ではないのですが、思索すると云う精神活動は、毎日の仕事をしながらですので、けっこうしんどかったです。

     テーマは「回り続ける水車」、講義が終わったあと、何人かの人に「稽古の参考になった」とか「いい話だった」とかいわれたので、とりあえず肩の荷が下りました。 また「講義の原稿のコピーが欲しい」と企業研修の先生に云われた時には、とまどいながらもちょっと嬉しかったです。

     今回のことで、いろいろと自分の生い立ちなどの記憶の糸をたどることをしてみて、思い出せるうちに、こつこつと自分史などをつづってみようかと、ふと思ったりしました。

     結構実話というのは、時代ともからみあってシンプルな中にも説得力があるし、何年かかるかわからないけれど、もうそんな年齢になったということでしょうね。


  • 2001年4月30日0時47分

    [原稿修了」 櫻の花見以来、長いこと独り言を休んでしまった。,

    5月の連休の新体道合宿で90分の話を頼まれ、この1っか月、テレビと新聞断ちをして、原稿ずくりに空き時間を全部使ってしまった。

    今日やっと最終原稿が出来上がり最後のプリンターをかけたときは、思わずバンざーい!!といってしまった。13枚である

    。テーマは「花は神のメッセージ」か「回り続ける水車」長いけれど、どうにか分散していつかここにも載せたいと思っています。

    5月は4,5,6と千葉の白砂海岸に行って来ます。


  • 2001年4月2日1時20分

    「さくら・さくら・弥生の空をば見渡す限り」

    昨日は雪までぱらつき又真冬に戻ったような寒さだった。

    櫻の花が殆ど満開というのに櫻の花の上に雪が降りしきるなんて・・・

    暖かさが好きな櫻はさぞびっくりしたことだろう。

    でも今日は快晴、絶好の花見日和、何枚も重ね着をしてリュックサックを出して、ビニールの下敷をもって、一路上野公園へ出発、ことしの櫻は最高のみごろ!!

    でも、すごい!!  人・人、人、人、人、・・・・・・・・

    人で歩けない、前の人との間隔が10センチ・そのうち身動きがとれなくなる、二往復がやっとで もう一度この人混みの中に入るファイトがでない。、

     一番眺めのよいお気に入りの木の下で座り込んで小一時間、忘筌と座り眺め。ぎっしりの人の山に悪酔いしそう。

    それにしてもこの2年ほど、左右の櫻の木の下がすべてロープで仕切られ、なかはビニールシートを敷いた人達がからからの状態で場所をとりぜんぜん人のいないところも3分の1はありそう、広い場所にねそべってひとり昼寝・・・・・・・

     それにしては、中央の道はぎゅうぎゅう詰めのところてん、

    人通りの人工密度の比率は百倍にも成りそう。

     そのうえ、歩いている人は櫻の木の下を歩けず櫻と櫻の谷間、上を見れば空である。

     その上座っている人達は一日中占領し桜も見ないで酒をのんでいる、、あるいて桜を見ているいる人達はせいぜい1時間、疲れてどこぞに、退散してゆくのである。 さくら愛好人間にとっては、まことにストレスの多い花見で、別れは名残惜しくもっと心ゆくまで堪能したかったのに・・・・とぼやく、

     「またあした、来るから・・・・・」と、置きぜりふを云うも、べつの処にゆきたい気もする浮く春です。


  • 2001年3月25日21時22分

     「ブーケと櫻と」

    今日は生徒さんのHさんがお姉さんの結婚式でブーケを挙式用とお色直し用の二つをつくりました。

     一つはユーチャリスと白薔薇と白いスプレー薔薇にダイヤモンドリリーにアイビー、形はティアードロップ。

     もう一つはピンク2色の薔薇・(トポネとジュリファルレイ)とチューリップ(ピンクダイヤ)とルナンキュラスの桃色、それに白いスイートピーとブルースターリーフはササバラスカスのラウンドスタイル。

     可愛い可愛いものブーケでした、

     ユーチャリスは薔薇や百合にない清楚さがあって依然人気が高く、値段も最高に高価、花首が短いのでダイヤモンドリリーと共に水処理をしてワイヤーメソード、大切に大切に扱います。

     3つのブートニーとヘアーオーナメント、両親と恩人への花束と3個と子供用のブーケ2こ。

     生徒さんも日頃のリハーサルの成果でMさんにてつだってもらいながら、朝一番から夕方までのハッピー・ブライダルな一日でした。

    ・・・・・・・・・・・・・・  ふと気がつくと野毛大通りの彼岸桜は満開、既に散り終わった木もあり野毛山のソメイヨシノも3分咲き・・・・

     来週の日曜日は絶好のお花見となりそう、いよいよ私の出番、来週ははお花見に決定!!

     何処にゆこうかわくわくしてきて 今週は心が落ち着きそうもない。

     毎年桜を見ると 西行を思いだし、私も願わくば櫻の花の候に死にたいと夢を描くのです。

     誰にでも必ず死が来るのに ではこの春いかが?といわれれば、「うーん秋でもいい・・・」といいそうで まだまだわたしの櫻狂いは序の口です。


  • 2001年3月25日2時18分

     [イースターのつづき」

     どういうわけか終わりがきれてしまったので継ぎ足します。 

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アメリカといってもカリホルニア州だけに日本がスッポリ入ってしまう大きさなのだから各州ごとにいろいろな習慣があってもおかしくないでしょうね。

     こんどその由来を聞いてみたいと思っていますが、生活に茶目っ気があっていかにもアメリカらしい話ですね。


  • 2001年3月25日2時18分

    「イースター・復活祭」

    今年もイースター(キリストの復活祭)が近づいてきましたね。 今年は、4月15日の日曜日になるそうです。 

     今スタジオではイースターのためのアレンジメントのレッスンをはじめています。

     オランダのブールマ先生が、数年前、やはりイースターのデモストレーションのためスタジオに来て下さったとき、沢山もってきて下さった黄色いたまご型キャンドルの残りを使って 7〜8種類の葉と黄色いガーベラ、ミモザ、ブルビネラ、こでマリなどの春の花に 橋田先生からいただいた自家生キウイフルーツのつる、スパニッシュモス、バークなどを加え、フラットなランドスタイルにデザインしています。

     出来上がりはどのようにできても最高に楽しいものばかり。とっても素敵です。

      今日は日本人にはあまり馴染みのないイースターについてちょっとした豆知識をお届けします。(平凡社 辞典参考)

      イースターはキリストが十字架の死後三ッ日目に甦り復活したという出来事を祝うお祭りで 魂の永遠性を証しするものとして重要なお祝い。

     旧約の過越しの祭りの時に起こったので、キリスト者にとって<主の過越>と呼ばれるようになり、その日取りも春分後の14日(満月)過ぎの日曜日(イースターサンデー)に、祝われるようになりました。

     このイースターは、キリスト教のクリスマスに並ぶ最大の祝日で復活祭前夜は他の異教的祝日と同様公共の祝火がたかれ、人々は賛美歌を歌いながら炎が消えるまで火の周囲を回り、この火を飛び越え、その灰とか燃えさしを畑に埋めて豊作を祈ります。

     復活祭の典礼では、光の祭儀、ことばの典礼、洗礼の典礼、感謝の典礼、となり、光の典礼では復活したキリストを光に象り(かたどり)復活蝋燭を中心に行われます。 

     また復活祭当日の朝に復活の象徴とされている卵(イースター卵)をたべたり色を塗った卵を贈り合う習慣があることはよく知られていることですね。

     アメリカ合衆国では、復活祭翌日(イースター・マンデー)にホワイトハウスの庭で子供達の卵ころがし大会が行われているそうです。

     日本の国と違って政教分離など掲げず、むしろ宗教の宗派による与・野党の色合いさえ感じるアメリカは政治家の宣誓などけっこう有効なのでしょうかね?

     良心や常識どころか法律まで犯す日本の悪徳業者・政治屋集団の厚顔の輩にはほとほとあいそが尽きる、 あのような集団に一国を任せていては國が滅びるー!!

     なんて思っているのは私1人じゃないですよねー

    あらら・・・!  話が飛んでしまって失敗失敗、

    そう、イースター!、イースター!

     学生のころ教会に通っていたときイースターには鉄砲百合が飾れれていたように思い出します。 白い百合はいかにもキリスト教らしいかもね、

     サンフランシスコに10数年在住している息子によれば、イースターには 本人に誰が贈ったか気づかれないようにウサギのおもちゃを贈り合う習慣があるそうです。

     いえのドアーの前に・バーで飲んでいるときに・ふとした隙に・知らないうちにラビットのマスコットが自分の前に置いてあるそうです。


  • 2001年3月14日1時51分

    「ブランコ」

     せんじつの日曜日久しぶりに孫の明美(5才)と直美(3才)と野毛山公園のロケット広場に遊びに行った。 母親が風邪気味だったのでわたしと交代したのだ。

     早速ブランコに乗ろうとして明美がまっしぐらにブランコに走った。

    4っつのブランコのうちひとつが空いたからだ。 ちょうどその時 そのブランコをみつけた同じぐらいの女の子も走っていた。

     1m位の差で明美がブランコの鎖をつかんだ。

     わたしは内心ほっとして足早に近づくと、後から走ってきてブランコの前に立っていた女の子にきがついたた明美は つかんだ鎖をふっと離してブランコに背を向け鉄棒のほうに走り出した。

     思いもよらず、その子供らしくない未練のない転換ぶりにわたしは呆気にとられていた。

     子供の世界でも先着順があたりまえ、一つの物を2人で奪い合ってけんかになるのはよくあること。

     この子には私にない性格がある。 

     あとで3人でアイスクリームを食べながら「あーちゃん どうしてさっきブランコあの女の子にあげたの?」 ときいてみたが 忘れてしまったのか質問の意味がわからなかったのか、 納得のいく回答は得られなかった。

     あまりしつこく聞く自分が恥ずかしくなってその話は止めにした。

     終戦直後、小学校4年生の頃2才下の弟とふたりで、疎開先の茅ヶ崎から東京駅と両国駅で二つ乗り換えて八日市場の父の田舎に食料をよくもらいに行った。

     大人も子供も男も女も私も誰も彼もが満員列車の窓から飛び乗り我先に座席を奪い合う光景が悪夢のようによみがえってくる。

     終戦後50年現在でもひとに座席を譲るのに気持ちと体のタイミングがあわず体裁をきにしたりして見送りの3振をよく経験する。

      わたしは自分からそう遠くない孫にこんなに勇気あるやさしい気持ちがあることを知って、誇らしい気持ちになった。

    「あーちゃん! きょうはとってもありがとう!!」


  • 2001年3月10日1時17分

     「ブーケショーの感想は」

     ブーケショーのときのブーケ作品の感想をひとりづづ書きたいと思いましたが、専門的になったり、また個人的になりすぎたりするかも知れないので、全員のブーケ作品をHP「ブーケショー2001年」に写真で載せることにしました。

     感想の希望者は直接スタジオにてわたし又はスタッフの先生方までお申し出て下さいね。

     総評としていえることは、ブーケショーでのブーケは 展示会のように、壁の前になっらべて 花材の組み合わせ、配色、フォーム、独創性、等を見るのではなく ドレスをまとった目の前にいる人間全体を見てその総合的な印象、即ち個性的アピール、を見ていただくようになると思います。

     同じブーケでもドレスが変わったり、モデルが変われば評価も変わるのは当然といえるでしょう。

     プロのモデルは人間性や感情というものは無視し、人形的、没個性によって、アピールしたい物だけを強調する訓練をしていますが、私たちはそんなことはできませんし、また主旨も違います。

     主体はあくまでも「人間」そして花は「添えるもの」が基本ですよね。

     全存在で全身全霊でブーケをもって一生懸命あるきます。

     ちょっとほほえんだり、少しはにかんだり。

     まるで花嫁のように! 

    だからみんな初々しくて、可愛らしいのでしょう。


  • 2001年3月3日1時46分

    「ひな祭りと桃の花」 ところで 3月3日のひな祭りに桃の花を飾るという伝承について調べてみると、

     「参考 小南一郎」

      古く中国では、桃が多くの果実を実のらせることにあやかり、結婚した女性が多産であるようにと類感呪術な心情を基礎にしたものであった。

     多子という特徴は、桃がより強い生命力を持つことで、その生命力は桃に長生や魔よけの力があるという形で表現され、仙果として文芸や造形美術のなかに出現するようになりった。

     さらに桃の枝や棒を死の汚れを払うために用いたり、漢代には桃の木でつくった人形を新年の門口に懸けて邪気を払う風習が盛んになりやがて<桃符> というお札が正月の門口に貼られるようになった。

     桃の持つ超越的な生命力付与の能力は、それが現実の果実であることを超え、世界樹として桃はは宇宙の軸として現世と異世界との通路になるという神話的な思考にも反映され中国の多くの文献のなかに登場してくるのである。

     「参考 飯島吉晴」

     日本では3月の節句と桃の結びつきは、すでに平安時代に見られ、3月3日を桃の節供といい、桃の花を飾ったり,魔よけに桃酒を飲む風がある。

     この桃酒は、毒を下し、病を払って、安産するともいう、 5月のヨモギ、菖蒲、9月の菊と同様に、3月は桃の呪力で、病魔や災厄を払おうとしたのであろう。

     五島列島の福江島では厄払いの串団子を桃の木に挿したという、また鬼門に桃の木を植えると良いとか、青森県下北地方では、イタコが口寄せやオシラ遊びをするときに、桃の木を飾るので死霊がくるから飾らないとか、様々な俗信もあるが、それだけ桃が神聖視されていることを示しているといえよう。

     *中国の医書には美色細腰にするとか、物忘れを治す、虫歯予防、など 桃の木には様々な薬効があって今でも桃の葉をすって汁を汗ものにつけると直ぐ直るので子育ての頃わたしもよくつかったものだ。たしか「桃の葉」という薬も売り出されているはずだ。*


  • 2001年3月1日0時56分

    「だいり雛」

    2月26日 まだ間にあう3月3日まで、の思いで一日延ばしにしていたおひな様をやっと運び出して飾った。

     スタジオ用のおひな様を移転の際我が家にいちじ運んだため、二組のおひな様の箱を開けてしまい、しまうのも面倒くさいのでついに二組の内裏雛を飾るはめになってしまった。

     2つ並べて初めて気がついたのは、その衣装や作りの差だ。 かぶり物 もち物 敷物に至るまで、ぜんぜん違うのである。

     片方は圧倒的に絢爛豪華で畏怖堂々たる風情、

      2つとも位は最高位で同じはづなのに、衣装でこんなにも気高さや、凄みが違うなんて・・・・外見というものの威力をつくづく感じた。

     わたしはなぜか庶民的な?内裏雛の方が愛おしく感じられてちょっと高い場所に飾った。横着をして出さなかった三人官女の付き人を明日はつけてあげようかな・・・・・・・


  • 2001年2月26日1時11分

    2月25日(日) 「渡瀬先生受賞」

     今日は東京ドームでおこなわれた「世界らん展日本大賞2001」を見に行った。

     友人の渡瀬公子先生がインテリア部門で奨励賞とトロフィー賞をとられたからだ。

     今回の先生の受賞はほんとうに嬉しかった、6回目の挑戦がついに花咲いたからだ。

     作品はとても素晴らしくアンブレラ型のデザインに十種類以上の可愛い欄の花や葉やつるが繊細な上に完璧なバランスで下がったものでした。

     早速名古屋の加賀先生と東京の三宅先生に連絡し喜びを分かち合い、お昼は渡瀬先生と、夜は三宅先生とお食事をしてひっさしぶりにゆっくりと、おしゃべりにも花がさいた。

     3人とも秋のフランスでのジャパン・フェステバルを成功させようと固い握手をし希望を胸にして家路についた。


  • 2001年2月22日13時2分

    「今年はフランス・ボルドー市で」

     先日19日の月曜日ベストワールド社のT氏がスタジオに見えた。

    ブーケショーを見て大変な感激ぶりで、ブーケもモデルの生徒さんも可愛らしく衣装ともあいまっ素朴な初々しさがとても新鮮! ということで社内でもっぱらの評判とのことでした。

     今年のジャパン・フェステバルはフランスのボルドー市主催で秋に行われる。

     私も昨年参加したの印象で大変良い企画であるとおもっているので、ことしも事情の許す限り参加して日本の花を紹介したいとおもってます。


  • 2001年2月15日12時14分

    「ブーケショーの感想」(1)

     今年度のブーケショーの特徴は何と言ってもほとんど全員が デザインと色と花の組み合わせを自分の希望どおりのものをやったと言う点でしょうか。

     例年は同じ花にならないように色もバランスよく全色がそろうようにしたり同じデザインが重複しないようにバラエテイに気を配ったり、あれこれと調整をしてきました。

     2月始めという期日のうえ、昨年12月にはクリスマス・お正月レッスンをぎりぎりまでやっていたため今年に入ってまる1ヶ月しかなく調整する時間がなかったこともあり今年は自分の希望を優先ししたものとなり見せるものではなく、文字どうり発表というかたちをとり「自分らしさ」でこの4週間のもうれつれつレッスンとなりました。

    . その分最近の皆さんの好みや傾向などがはっきりでてきたのではないかと思っています。 と同時にスタジオの傾向などが顕わわれたといっても良いでしょう.

    3ぶんの1 ぐらいの人が、花の自然を生かすデザインで3分の1人は自分のイメージを花で表現するというかたちになり後は両者のジョイントがた、 初出場者が多かったわりには最後の1週はヘアー飾りばかりという仕上がりの早さでした。  

     もう一点の特徴は一回の花材で2日連続2回レッスンを行ったこと。冬場で花が高いのと花持ちが良い点とを考え2〜3日中に2回めをさらに完成度を高くして仕上げるようにしました。

     これには皆さんもとても積極的でよくやってくれました。中には1ヶ月まえのリハーサル時の花材のいち部をそのまま使ったかたもいたほどです。

     またハードの部分も既製のものは使わず全て手作りで創ったところもそれぞれの趣がでてきたとおもいます。

     無理なくでも精一杯の自分ということで思いの外ひとりひとりが喜んでいてくれたのがなによりでした。

    つづく


  • 2001年2月13日22時31分

    修了式に出席できなかった方のための2001・2月4日の「35周年修了式のあいさつ」  前述略

     今年は特に花の世界に入りまして 35年という節目を迎えました。この長い間 今日の日までなんとか続けて来ることができましたことは、大勢の方々のご支援お力添えによるものと心から感謝をいたしております。

      思い返しますと はじめて修了書を差し上げたときはただ一名でした。 中華街の二階で数名の仲間とお祝いの夕食会をしたのが修了式らしきものの初めでした。

      その後 毎年この修了式を続けてきたことは、一生懸命レッスンをして修了書を手にする一人一人に それにふさわしい自信と自覚を新たにし ますます花の世界の素晴らしさを知っていただくために 心からのお祝いと 励ましの拍手を一人でも多くのひとと贈りたいという願いからでした。

     第一番目に修了書を受けられたその人はイギリス人と結婚してスコットランドに行かれましたが、 日本に帰ると今もスタジオに尋ねてきてくれますし、私もスコットランドの彼女の家をたずねます。 スコットランドがとても近くなりました。このことは草創期より海外に目を向けるようになりました。

     今は亡き彼女のお父さんがデパートの片隅に陳列ケース一つを提供してくださったことが私が本格的なこの道へのスタートとなりました。 仕事の上の恩人と思っています。

     またこの35年間に13回 スタジオを移転しましたが、その殆どの教室にかよってきてくださり 現在も不自由な足元に杖をたづさえながら毎週お稽古にに通い続けてきて下さる創作フラワーのその方は 今年88才今回のブーケショーにも 素敵なバラの花を沢山創ってくださり、連続9回の出品となりました。この方はスタジオの母ともいえる私の大切な存在です。

     また卒業後 年賀状だけのおつきあいでした 20才そこそこの可愛らしい生徒さんが思いがけず25〜6数年ぶりに富山県から上京し出席してくだることになりました。  一枚の年賀状の絆をかみしめながら再会がとても楽しみです。

      初めは、ただ花の美しさにひかれてのスタートでしたが、このような大勢の花大好きなひと達に出会い 沢山の想い出と わたしの人生の大半を共に共有できることは私の最高の喜びと思っています。

      一方この35年間後悔することは何一つありませんが残念に思っていることはあります。

    、この道一筋に ただひたすら、一心にはしり続けてきた私はとりもなおさず仕事以外はあえて目をつぶってきたように思います。

     一つのことに一生懸命になればなるほど 必ず何か他のものを犠牲にしてしまうのはのは当然かも知れません。

     でも、もし走ることだけに一生懸命であったら、道ばたにうずくまっている人に気がつくこともないし、、声をかける余裕も無かったと思います。 走り続けていると目に入らない風景もありますし、熱心さのあまり人を傷つけてしまったにちがいないこともありました。

     一生懸命という言葉には、同時に右や 左を振り向くという 横じくが必携であると言うこと知りました。

      いまわたしは人生の速度をゆるやかにしようとおもっています。

       孫たちの存在がが こんなに可愛らしく 感激の泉であることを知るにつけ育児ひとつとっても わたしは自分の子供たちへの慈しみやその喜びを見失っていました。  今世紀は環境回復のため私たちの力を総結集する時といえそうです。

     私の反省は20世紀の反省とも重なります。先に走っている国がもう少し走る速度をゆるめ横軸のバランスをとって 弱者への思いやりや世界全体を見るゆとりを持てば この地球にもまだまだ希望がもてると思いました。

      私にとっての方向性とは 唯存在するだけでその方向を指し示すもの それが「一輪の花の美しさ」でした。

     短命な花の生命に優しい心と慈しむ気持ちを正され、 咲いては枯れ枯れては咲き延々と受け継がれて行く生命の神秘にに崇高なるものへの謙虚さを教えられます。

     花が語りかけている小さな声に耳をかたむけ、花の指し示す彼方を見つめるとき、自分も又個性ある一輪の花としてみんなと共に百花繚乱のなかのひとひらの花として これからの人生を謳歌してゆきたいと願っています。

      後述略        


  • 2001年2月8日12時41分

    「35周年記念修了式とブーケ・着装発表会」

    2月4日(日)に35周年・修了式とブーケショーが行われた。 出席者は10名ほどの子供達を除いて200余名でした。修了書取得者はのべ53名 ショー出演者は総勢36名で賑やかに行われました。お客様は熊本、新潟、はじめ8つの他県からの出席をいただき心より感謝をしております。

          当日のプログラムをご紹介します 

                修了式 

               司会 馬場真理
     挨拶  青木悦子 
     祝辞  中島尚子先生 NFD熊本支部 栄誉理事長
         たからだひかる先生、シベールフラワーデザインスタジオ主宰
     修了書授与    青木悦子
     感謝状      横浜市長 高秀秀信(代読)
     祝電       横浜市長 高秀秀信
              倉敷すみれ花店  高橋洋子 他多数
     花束贈呈     荒井敏子先生・橋田すいり先生・生徒代表 白神一代
     乾杯       高松守信 中大辞達学会OB 元第一ホテル総支配人
     懇親パーテー
          福引き   馬場真理  青木桃子
          講話    青木宏之 「書道と中国文字の歴史」新体道協会会長
     ブーケ・着装発表
      司会 青木桃子
      ブーケ着装発表    人気投票結果
         第1位 中原悦子(初出場)
         第2位 板屋葉子(初出場)
         第3位 中村郁代(7回)
         特別賞 霞 まさ(9回)
         第5位 長船香織 (2)
         第6位 似内美幸 (4)
         第7位 松岡道代 (7)
         第8位 篠沢ミサ(初)
         第9位 白神一代(初)
         第10位 岡田亜紀子(初)
       スタッフ
       ビデオカメラ・編集 馬場 勝
       カメラ    橋田君子 青木太郎
       受付     金田恵子 深沢幸子 柳下ひとみ 青木淑恵
       福引     青木桃子 馬場真理
       進行     寶木原ちづこ・安田朋美 馬場真理
       音響     今井和代
       照明     杉本圭子(新体道)他
       投票・集計  三川桂子 勝野恵美子 従野しげ子 藤田みどり 宝木原智津子 柳下ひとみ 深沢幸子
       閉会     荒井敏子
    後便にて当日の挨拶とブーケ発表の感想を一言づつできるだけさせていただきたいとおもっています。


  • 2001年2月1日23時15分

    2月1日「ブーケショー迫る。」

     いよいよ後3日、ブーケショーの日が迫る。

    スタジオの中があわただしい。毎日誰か生徒さんがお手伝いに来てくれて準備も着々と進められて賑やかだ。

    差し入れも無くなる頃にはまたひとつまたひとつと、休憩タイムも又楽しい、

    今日はリハーサルも全て済んで忙中閑有り、

    あすは花市場の仕入れ30〜40名分の全てを入れる。

    桃子先生と真理先生と3人で太田市場にいざ出陣!!オーダーしてあっても入らないものもあるという、朝一番に電話で確認、善後策をたてなければ、、、

    パーテイの出席者は200名をこした。熊本,博多、名古屋、静岡、新潟、富山、長野、福島、茨城、千葉、栃木、遠くから皆さん来て下さる、がんばらなくては!

    明日の朝は早い。


  • 2001年1月24日23時59分

     「ブーケショーのリハーサル順調」

     2月4日の35周年修了式とブーケショーまで後9日。

     出演者35名中 殆どの人がブーケのリハーサルが2回以上済んでヘアーオーナメントのリハーサルにかかりはじめた。

     4点の創作フラワーのブーケはすべてデザイン完了。 

    1月のスタートが遅かったので少し心配したが仕上げは3〜4名を残してまずまずの出来映え。

     この数名の作品は 本や写真で見て気にっていざデザインしても 見た目は簡単そうに見えてもなかなかテクニックがつかめない。

     グループ活けのアップダウンになると基本ではないので、総合力がないと、いくら同じようにさしたようでも少しも雰囲気がでないで何度も差し替えるので、オアシスだけがボロボロになる。 

     その上リハーサルとなるので花の数や配色もそこそことなるのでなをさら完成のビジョンがつかめない。 

    「前に挿した一輪に有機的に連鎖して、花の色と形態のちがいのバランスをとりながら、全体をまとめる」としかいいようがない。

     今年は短期集中型であったので、初めての試みとして同じ花を数日後にまたつかい追加するかたちで素材的にも希望の色と花を整え2回目にほぼ完成に近いものができあがったことがとても合理的、経済的で、生徒さんの足並みも早かったように思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   このブーケショーどなたでもお気軽にお揃いでおいで下さい、        お待ちいたしております。 

                  ご案内

           青木悦子フラワデザインスタジオの   35周年記念修了式とブーケ着装発表会のお知らせ

             ・・・・・・・・・・・  

         2月4日(日)  午後6時より         新横浜ソシア21(新横浜下車・駅前より送迎バス有り)

       会費    10000円(税込み)立食パーティ

                     ・・・・・・・・・・・・・

     おいで下さる方には詳細とチケットをお送りしますので至急メールか電話・FAXでご連絡ください。


  • 2001年1月18日0時1分

     「元日・初夢にみた青い龍」 

    私のブーケショーのテーマは「青い龍」

    2001年のお正月は 主人と神奈川県山北町の洒水の滝のある文覚荘で年を越し 滝の音を聞きながらゆっくりと21世紀の元日を迎えました。

     この滝は落差70mほどで、一度ジャンプして水しぶきを舞い上げながらドドーンと落ちる姿は雄々しく 清々しく心を惹きつけて離しません。、又周囲の岩肌から一面にしみ出る細い細い石清水は水レースのカーテンのように岩肌を覆い、 親滝の周りで遊び回る子供滝のようで 一瞬たりとも留まることをせずこれもまた 見飽きることがありません。

     ひんやりとした山合いの空気と水しぶきににふれて心引き締まる思いで 21世紀を迎えるにふさわしい元日を迎えました。

      さてその夜私の見た夢・・・・・・・・

      突然 水面より緑色のワニが「ガっバっー!!」と飛び出し天井に垂直に飛び上がりました。あの長い口と とがった歯 顔だけで50〜60センチもある、グリーン色の肌の鰐。  驚いた私は、一度潜ったすきにそこにあった板で水の上を夢中で蓋をしました。が再びさらなる勢いで飛び出してきました。その勢いに わたしはもう恐ろしさのあまり一目散に走って走って逃げました。

     という夢・・・・・・・・・・・・・・・・ あとでみんなに話したら それはワニではなく 龍だ! 青い龍だ! 青い龍は縁起が良い! と大賑わいになりました。

     誰かこの夢説きをしてくれませんか。

    そこで 今も鮮やかに目に残る私の21世紀の初夢あの「青い龍の幸運のエネルギー」を顕わしてみようと遊び心で挑戦してみました。

     尾の部分は沖縄産の2〜3メートルもある椰子の実とこくわ蔓・頭の部分が偶然一致した椰子の葉、あるいわ谷渡り、くちを楓南天の実とアロエの花 龍のエネルギーを金柳か行李やなぎで・・・・・と

    「いちどリハーサルをしましたが、目下椰子のみを沖縄に取り寄せ中なのでたのしみです。」 2月4日のブーケ・ショーと修了パーテイ」是非きてくださいね。「元日・初夢にみた青い龍」 

    私のブーケショーのテーマは「青い龍」

    2001年のお正月は 主人と神奈川県山北町の洒水の滝のある文覚荘で年を越し 滝の音を聞きながらゆっくりと21世紀の元日を迎えました。

     この滝は落差70mほどで、一度ジャンプして水しぶきを舞い上げながらドドーンと落ちる姿は雄々しく 清々しく心を惹きつけて離しません。、又周囲の岩肌から一面にしみ出る細い細い石清水は水レースのカーテンのように岩肌を覆い、 親滝の周りで遊び回る子供滝のようで 一瞬たりとも留まることをせずこれもまた 見飽きることがありません。

     ひんやりとした山合いの空気と水しぶきににふれて心引き締まる思いで 21世紀を迎えるにふさわしい元日を迎えました。

      さてその夜私の見た夢・・・・・・・・

      突然 水面より緑色のワニが「ガっバっー!!」

    と飛び出し 天井に垂直に飛び上がりました。あの長い口と とがった歯 顔だけで50〜60センチもある、グリーン色の肌の鰐。驚いた私は、一度潜ったすきにそこにあった板で水の上を夢中で蓋をしました。が再びさらなる勢いで飛び出してきました。

    その勢いに わたしはもう恐ろしさのあまり一目散に走って走って逃げました。

     という夢・・・・・・・・・・・・・・・・ あとでみんなに話したら それはワニではなく 龍だ! 青い龍だ! 青い龍は縁起が良い! と大賑わいになりました。

     誰かこの夢説きをしてくれませんか。

    そこで 今も鮮やかに目に残る私の21世紀の初夢 あの「青い龍の幸運のエネルギー」を顕わしてみようと遊び心で挑戦してみました。

     尾の部分は沖縄産の2〜3メートルもある椰子の実とこくわ蔓・ 頭の部分が偶然一致した椰子の葉、あるいわ谷渡り、くちを楓南天の実とアロエの花 龍のエネルギーを金柳か行李やなぎで・・・・・と

    「いちどリハーサルをしましたが、目下椰子のみを沖縄に取り寄せ中なのでたのしみです。」 2月4日のブーケ・ショーと修了パーテイ」是非きてくださいね。


  • 2001年1月3日16時42分

    「2001年 元旦」

    21世紀開けましておめでとうございます。

     新年の元旦を神奈川県山北町の洒水の滝の宿坊に来ています。

     主人にいつもお互いに忙しい2人なのでお正月くらいはゆっくりしようとさそわれ大晦日から年を越し 滝の音を聞きながらゆっくりと21世紀を迎えました。

     この滝は主人の新体道の人達がいつも入りに来ている滝で旅館文覚荘のご主人や奥さんとはお馴染み、一緒に海外に何度も出かける親しい間柄です、 お正月3が日はお客さまを一人もとらないのに私たちを快く迎えてくれました。

     洒水の滝は落差70mほどで、一度ジャンプして水しぶきを舞い上げながら落ちる姿は一瞬一瞬が変化していつまでも見飽きない。

     ひんやりとした山合いの空気と水しぶきににふれて心引き締まる思いで 21世紀を迎えるにふさわしい元日を迎えました。

      そういえばこの滝 私が未だ若かった頃、やはり主人とぶらりと訪れた際、 滝に誘われて 思わず服を着たままざんぶりとはいり この文覚荘の物干しで服を乾かさせてもらって家に帰ったこともあったっけ・・・・・

     若かったなー!! あの頃は、 

     あれから何十年?

     年月の「ながれ」を感じ 自分の歩んできた今日までの道のりと、そして こんにちあちこち調子を整えつつ日々を送っている自分の身体を ひときわいとおしく思いました。

     一方からだの老化に反してこころはかなり弾力をつけてきたかもしれないこの心と身体でバランスをとって、この一年、この世紀どこまでゆけるか、がんばりたいとおもっています。

      今年もよろしくみんなでがんばりましょうね。 

                   2001年  元旦 青木悦子